ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

愛おしい映画

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この作品の冒頭には、誰かへの追悼や謝辞としてではなく、願わくばこのようであってほしいという意味での監督からのあるメッセージが捧げられている。
それには、次のようにある。

『本作を撮るきっかけは 才能ある子供たちに出会ったことでした。
彼らの無限の可能性が解き放たれ 無償の愛が注がれますように

プラッチャヤー・ピンゲーオ

自閉症という障害には、それをよく精査し現実の人間の生活と照らし合わせる者に、得も言われぬ絶望感を与えてくれる仕組みが組み込まれている。
そのとき、人は試されてしまうこととなる。
なぜならこの問題に向き合った時の態度こそが、その人の人生の回答そのものだからだ。
深い痛みを思う。
その痛みを、他者のことであり自分には関係の無いことと決めつければ、運命は、そのように括ったそのままを、異なった形で以てその本人に科して試そうとする。
そしてそうなれば、そのとき人は必ずこう言うのだ。
「なぜ自分がこんな目に!?」と。
この問いへの答えは明白だ。
それは「無関心が罪悪だからだ」というルールの発動なのである。
物語とは、宇宙だ。
この映画はまず、その宇宙の創造者である監督の先の言葉から始まる。
そしてそこに描かれるのは、この因果応報のルールに翻弄される人々の姿である。
まるでアダムとイブの物語のように。
業の導きに翻弄されるひとりの女は、自分の業の片割れとなる異邦人と出会い、罪を重ね、やがてその運命を身ごもる。
そして女はやがて、運命の面前に「慈しむ母」となり、己の命のすべてを賭してその子へ無償の愛を捧げていくこととなる。
そしてその報いは、この物語の中に、そしてこの物語に触れる人々の心の中にこそ芽生えていくのである。