ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

幸せを重ねていくこと

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どんなに世界が狭くなっても、あいかわらず、はるか向こうの国のままのようなタイ。

その、ずっと向こうのままの世界から送られてくるしあわせ。

ステキな贈り物だとおもいます。

陽射しと良い空気と、愛すべき家族に包まれて、こうして幸せを重ねていく姿を見せてくれる。

それを、あなたはどんなキモチで受け取るでしょうか。

まぶしいですね。

 

ジージャーの優先順位 1

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中達也先生が、鉄拳7のリディアのキャプチャーを実施しています。

興味のある方はYoutubeなどを見てみるといいと思います、そもそも、中先生の動きそのものが美しいですよ。

ジージャーのYoutube発信が、タンさんの枠にあるからなのか、更新されなくなって久しいです。妊娠しているのかな、とも思うのですが、元気ならなによりです。

さて、鉄拳。

以前にも度々取り上げさせていただいてますが、こうして、世の中がおおきく変わり始めると、VRについての可能性が大きく重要度を増し、位置付けが変わって来ているのをひしひしと感じられて、なんともおもしろい。

鉄拳に関しては大昔に、ファランの動きがキャプチャーされて生まれてきた記事を覚えていたので、この流れが深まって行くであろうという方向性は、早くに理解できてはいました。

そののち、アバターという映画が製作され、ああ、CGを超えてVRの需要が高まってコスト問題が解消方向になれば、VRはコンテンツのど真ん中に来るだろうなあ、とは察したのです。

で、そこにきて、5G、そしてもうすぐ、6Gに至るインフラ整備がなされますが、こうなると、コンテンツにおけるVRは、もうひとつの世界の完成に至ることでしょう。

大げさに、ではなく、ヒトはもう、その肉体としての機能や身体という材料活用の限界として、リアルと携わり消耗することの上限に来ているのだと思いますし、それは同時に、脳や精神が求め欲しがる、次の場面、次のリアルが、いまのニンゲンの機能のままではもう触れられないのだ、ということのあらわれなのでしょう。

日本ではほとんど積極的には報じられないことですが、欧米諸外国の現実は、日常の依存性薬物の蔓延があたりまえの風景となって久しいのですが、これも結局はひとつのバーチャルの誘引であり、依存症を緩く許容しなければ鬱に陥り、生活困難者になるという悪しき自衛の肯定にほかなりません。

しかし、現象というものを、ネガに解説して引き出しにしまい無視してすませようとしても、その現象を生み出し顕在化させた潮流を遮ることにはなんの役にも立たないことでしょう。

結論ですが、良くも悪くも世界はいままでのリアルと等価になろうとする、バーチャルというもうひとつの影の世界を受け入れはじめている、ということです。

その意味において現在は、その世界の構築がはじまる原始の時期にあり、持ち越されるべき素養の剪定開始のタイミングだと言えるでしょう。そしてその「次の世界」にバイパスされていく素養は、高い偉い大きい強い伝統的で確約的な、を、大きく否定した、魂が感じたリアルにかなうものこそ優先、ということになって行くのでしょう。

換言するなら、現代社会が「当たり前」と括ってきた価値観ではなく、ひとりひとりのこころの感動を呼び起こしえた、ホンモノの素養のみがこの門の前に公平に並ぶ、そういう世界が訪れた、ということです。

つまりここに、われらがジージャーが登場するのだということですね。

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版 2

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なんだか導かれるようにエヴァを見に行くことになりました。
ネタバレ、みてません。
ネットでよくみかけるような、高尚な考察も持ち合わせません。
それでも、25年の物語のひとつの結末をなぞる思いは深くて、しばらくするとどうにも、勝手に涙が流れるのですね。

いま、考えればそれは、シンジくんの絶望や、登場人物たちの置かれた環境にシンクロするものがあったのでしょう。

ただ、やがて物語がすすむと気付くのです。
いいトシをして、とも思うのですが、これ、その(いいトシ)の人間の、そしてその人生のそれぞれの季節の物語でしたね。

楽しみながら、感動しながら見せてもらいました。
劇中、惑星大戦争のテーマや、東宝の特撮の撮影のようなセットを模した場面や、過去のキーオブジェクト、伏線回収、思いの深堀りと、どれもこれも、自分の世代に近い人間の文化でしたが、20くらい若いヒトには、ひとつの(提案)として、ユニークに思えたことでしょう。
セリフの中で、AAAヴンダーから種子が打ち出されるとき、Lファイブ、という言葉が出てきて驚きました。
グランジェポイントファイブ、軌道上7つあるポイントのなかで、唯一安定するポイントのこと(スペースコロニー構想のころに世に出たコトバです)ですが、どうしてこんなこと、知ってたのだろう、と。
で、ああ、これはやっぱり、自分の世代(庵野さん、60ですから、同じといったら失礼ではあるのですが)のお話なのだなあ、と察したのです。
たぶん、渚司令、というのは後出しジャンケン(笑)だったのでしょうけど、それでも、ああ、その立ち位置、つまりはシンジくんにとって、その身と同じであり、そしてなお違い、見守るものであり、シアワセを押し付けるものなら、なるほど、親の化身か、とは思うのです。
よく考えたら、宇多田さんの(桜流し)のなかにもう、親という身のどうにもならない痛み、ということを隠した歌詞が出ていました。
その時点でもう、母だけではない、父もまた、なにより、息子にもっとも映し身をおもう存在だったのだ、という物語りを抱いていたのでしょうね、監督は。
すばらしい映画でした。
わたしはややもすれば、ああ、やっぱり父もまた親だ、と、感化されてしまったことでしょう。
で、そうならないように、鑑賞に先立って(それはそれ、オマエの問題はまた違うことを覚えておこう)と、運命から仕込まれたような気がしているのです。

わたしの戦いは、現実にまだまだ終わりません。

ヒトを信じること、ゆるすことはやっぱり、悪意に水をあげて成長させることでは絶対にないんだ、とは思います。

では、どうしたらいいのか、どう考えたらいいのだろう。

わかりません。

まだまだ、あがくばかりです。

ただ、そうしたなかでなお、オマエは決してひとりでは無いのだよ、と、ずうずうしくも、この映画に教えてもらったような気がしています、いいトシして、なのですが(笑

 

 

 

 

シン・エヴァンゲリオン劇場版 1

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虚血性腸炎になり入院を、と、言われたのですが、そもそも仕事復帰して2週目で、それだとまた、あらたなストレスを被るだけだろうと察し、加えて、立て続けの傷病が一年続きもう入院する金銭の余裕もないので、通院しながらにさせてください、とお願いしました。
しかし、あまりにお腹が痛い、出血もある、そもそもスポーツドリンクしか飲めないのでふらふら、ということで、結局は休みです。
毎日、懲罰的な嫌がらせを受けての勤務、もちろん、むこう側はそこをすり抜けるだけのズルい逃げは用意してます、論じるなにもありません。
まあ、さすがにもう、続けるのも身体的にみて厳しいとは知ってます。

それでも、うまくいかない、気に入らないなんぞに毎度負けてたらキリもない、というのが身上で、粘ったのこそ間違いだったのでしょうか。

気弱、というよりもっと深刻な、生きていくことの難しさに直面したいまですが、そうこう思っている間にも、被せるように、まったく不可測の事態が次々にやってきて、あらためて、この苦難を深めてくれたりします。

かれこれ、10数年話していなかった実の弟と、書類依頼で話をすることになりました。

数百万のお金を母から騙して奪い、悪態雑言をやめない。

家まで買ってもらっておきながら、それをあんなもの、といい、母が病に倒れてなお、お金を貪るばかりで、たすけて、といわれても家にも入れずに見殺し。

知らないと思っているのだろうけど、わたしはすべて知ってます。

それを綴った母の文字を見たり電話の言葉を思い出すと、いまでも涙が出ます。
それでも、10年の歳月は、懐かしさを優先させて、わだかまりを消してくれそうに思ったのですが、彼の言葉はまたまた、わたしによく、人間というものを学ばせてくれました。
クズは、屑。
それはたとえ、実の弟であれ父親であれ同じ、人間と、人間のようにふるまうだけのこころない輩とは、その身を一緒に案じてはいけないのだ、と、いうことをよく思い出させてくれました。
不幸になってほしくない、でも、その悪意のタネに水をあたえるのもまた間違いだということ。
よく、思い出しました。
しっかりしなくては、負けてはいけない、しかし、なによりヒトへのやさしいこころを失くしたら、彼らといっしょじゃないか、と、そして負けないことは勝つことじゃない、続きにたどりつくことなんだ、と。
こんなことが起こってる最中ですが、今日、ふいに復調してきたために、年に数度しかない何の予定や制約もない、どこにでもいける1日が訪れました。

こういう日は、ほんとうに無いのです。

で、そこにきてシン・エヴァンゲリオン上映なのです。

わたしは、なんとなく、この映画をみてこい、といいたいがために、運命はわたしを休みにさせたのではないかとおもいました。

 

 

 

 

シン・エヴァンゲリオン

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さんざん、時間があったのにね、なんで8日月曜に、、、、

まだみてないのに、なんだか、もう見てしまった気分の今日なのはやっぱり周りのせいなんだろうなあ。

しかし、マリが、ああ、ききたくないのに、、、。

当たりくじと、そのひきかえ

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3月はジージャーの誕生月です、占星術的に言うと、ソーラーリターンがあるワケですが、このタイミングで組み合わされる星の配置は、おおむね、むこう一年に向けてのそのヒト自身の運勢をカタチ付けるといわれています。

コレとは別に、抜擢や成功など、人生におけるおおきな取り組みでのおおきなタイトルを預かるものに、木星という星の運行があります。

この木星は、過去、ジージャーに、テコンドーでの成功や映画での成功などを成してくれていますが、先年には、また同様な配置にもどり、ふたたびジージャーのおおきな区切りを演出し、その役割を果たしたようです。

ジージャーが選び、つかんだ今度の幸運の神の前髪の中身は、女優としての世界的な成功ではなく、積極的に望み、手に入れたいと願った、愛の成就についてでした。

いま、このコロナ下においてのジージャーは、過去のいつよりも快活で溌剌とした様子を発信してみせてくれる状況に至っています。

ジージャーはいま、とても幸せなのだとおもいます。

そのうえで、わたしたちファンは、これからの彼女に何を望むべきなのでしょう?

わたしは、彼女が、彼女自身のポテンシャルを存分に発揮できるだけの機会と、それを引き出してくれる社会的なパートナーが、彼女の前にそろそろあらわれてくれることを望みます。