ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

たとえば、CITY HUNTER 

f:id:fwnk5197:20190906195506j:plain

ジーザスの映画化、を考えるとき、たとえばこの映画のように解釈し、マンガ原作から実写化への組み立てをイメージするなら、それはおおきな間違いです。

フランスが、シティハンターのおもしろさ、その醍醐味が、おおきくはキャラやギャグ、その「絵」の魅力にあった点を重視し、このようにアプローチしたことは、まあ、正解なのでしょうけど(まだみてないから、おもしろいのかどうかはしりませんが)、これはシティハンター、冴羽獠だから成立することでしょう。

ジーザスでは、実際、こうはいかないでしょうし、こう組み立てたらもう、その時点で失敗だと断言できます。

ジーザスの絵の魅力やテンポは、良くも悪くも90年代のソレです。

続編となる砂塵航路では、良い意味で、つまりは、物語の骨太さを裏付ける役割を担ってこのエッセンスは受け継がれています。

この点を勘違いして、キャラの容姿に寄せたキャスティングをこころみたり、臭いセリフ回しや、退屈な解説的アクション手順の扱い方を描くことを追いはじめたら、それはもう、くどくて見る側を息苦しくさせるだけの、サイテーの構成センス、サイアクの組み立て方と言わざるをえません。

で、それを踏まえての敢えてのジージャーなのであり、それらのおもしろさを活かしながら昇華するための「いま」というタイミングのチョイスなのですが、まずはこの点を踏まえ、物語へのアプローチ、はじめてみましょうか。