ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

夢の寿命

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チョコレートファイターからもう9年も経ったなんて信じられない、というコメントをみかけて、わたしは、9年の歳月の積み上げは10年のはじまりだし、そして10年という歳月は、ひとつの「夢」の寿命だろう、と、ふと、思ったりしました。
傑作だ、凄い才能だ、ハリウッドでも通用する、と封を切ったジージャーの映画人生ですが、実際にはそうはならないまま、無情に歳月が過ぎて行きました。
それはジージャーに才能がなかったとか、努力が足りなかったとかなのではなく、ただひとつの問題、つまり、優れた物語に出会えなかったという、その一点につきるのです。
チョコレートファイター自体がそうであったように、良作は、垣根をこえて世界に伝わり、評価の対象になるもの。これはまさに、この作品自体が証明したことです。
そして、どんなに優れた役者を起用しようとも、思いの薄い、くだらない成り立ちの物語には、人々は評価をあたえないということもまた、ジージャー自身が証明してしまっています。
酷な言い方ですが、ジージャーは、ジージャーをとりまく、愛すべきスタッフたちによって殺されているのです。
善意や善人が、努力が、必ずの成功を導く糧となるのなら、これはもう、カタチを成していなければならないこと。
そうではないもの、世界という名の神の経絡に繋がる何かは、いま、ジージャーの近くには無いのです。
では、それはどこにあるのでしょうか。
それはもう、確実に、この国、日本です。どんなひとでも、深く深くこのことを考え想像するとき、ジージャーは日本でプロデュースされるべきだ、というのはもうどうにも明白なことだと察します。
では、彼女はいま、そういうパスポートをもっているのでしょうか?
わたしは、実は、もっているのではないかと思っています。
あとはその封をいつ開けるのか、ということなのでしょう。わたしには、それは「いま」しかない、と、思えるのですが...