ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

鉄拳7

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過去にもとりあげていますが、ゲーム企画から発生した優れたコンテンツのひとつに、バンダイナムコの「鉄拳」シリーズがあります。
この作品、もとよりストリートファイターのパロディ(失礼)みたいな立ち位置でスタートした、自由な発想のゲームだったのですが、それがいまや7作目、1994年の1作目投入から実に、23年目を迎える息の長いコンテンツとなりました。
有象無象と生まれてきたはずのこの作品は、漫画へ、アニメへ、映画へ、パチンコへ、と、いまなお無限の広がりをみせ続けています。
この作品の世界観は、そのキャラクターの集め方、繋がり方、時間軸の設け方からして、実に自由そのものの痛快さを持ち合わせます。
斯く言う、この作品のゲームのコンセプトそのものが、操作時の爽快さ、一撃の痛快な反応の演出がメインとなっていて、ゲームそのものの印象自体を、楽しいもの、愉快なもの、爽快なもの、として位置付けることに成功しているのです。
この展開、世界中においてのこと。
つまり、言い換えればこの作品、世界を視野にいれた展開としなければ整合のとれない選択を突き詰められて出来ている、ということでもあります。
にもかかわらずこの作品、その成り立ちの自由度と時代背景から、ブルース・リージャッキー・チェンのエッセンスは早期に取り入れていて、その後も、他の格闘ゲーム作品の登場人物を取り入れたり、はたまた格闘とはまったく関係のない漫画のキャラクターまで引っ張りだしたりと、奔放に過ぎた展開をみせ続けているのです。
わたしはこういう展開の一環に、そろそろ日本の視点、アジアの視点からの、ユニークなキャラクターの投入を積極的にこころみてもいい頃なのではないかなあ、と思っているのですが、その筆頭にあげられるのが、先の「武田鉄矢さん」なのです。
鉄拳の世界の時間軸の自由度は、誰の、いつの、という縛りが消え去ることがおおきく、ここにヒントがあるのですね。
アジアに向けてのテレビメディアにおける武田鉄矢さんの知名度、これは相当なものです。
その代表として認知されるのは、ドラマ「101回目のプロポーズ」で、この作品はアジア各国でリメイクされていますし、近年のリメイクでは、武田さんご自身がゲスト出演されてたりもします。
その武田鉄矢さん、映画「刑事物語」シリーズでは、蟷螂拳を身につけ、ハンガーヌンチャクを駆使するファイターとして描かれているのですね。
武田さんのカンフーは、かの松田隆智先生の指導のもので、そのイメージを助長するのなら、その独特のアクションとエンディングの楽しさのバランスを容易に想像できてしまうのです。
そしてもうひとり、日本から選出したいキャラクターは、この武田鉄矢さんをリスペクトする、パルコのCMでメジャーになった女優の武田梨奈さんです。
梨奈さんに関しては、ここではいまさら繰り返すまでもありませんが、いまや一廉の女優さんへと成長されていて、いまとなっては例のパルコのCMのギャップこそ武器となるところで、こうした個人の刻印たるキャラクターの成り立ちは、鉄拳のエンディングにはまったくふさわしいワケです。
そしてアジアから、これは、もう、トニー・ジャージージャー・ヤーニンのふたりに尽きるのです。
ジージャーには、ゼンのキャラクターのまま、鉄拳の世界に迷い込んでほしいもの。そしてそのエンディングは、「ママのお金、かえして」なのです(笑)。