ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ただいま

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一青窈さんの「思草歌」というライブDVDをはじめて聴いたのは、セントレアに向かう途中のクルマの中でした。
あこるでぃおん」のライブパージョンが聴けるということで、一青窈さんのDVDに興味を持ち、姿見一青也というDVDを皮切りに彼女のライブを聴きはじめていたのです。
で、クルマである程度決まった距離を走るときは、けっこうしっかりと集中して音楽が聴けるものなので、フツーに、楽しみに「思草歌」を持ち込んだのでした。
どうしてなのでしょね。
私は彼女の歌を聴きながら、ぼろぼろ泣いていました。
とても深く感動したのです。
一青窈さんの歌には、何か、儚いものたちへのとめどもない祈りを感じます。
歌詞を並べて言葉に頼れば、ひとつの歌の中でも自分と相手がわざと入れ換えられて、気持ちを傾けて聴いていないと(というか、傾けさせられてしまう歌唱力があるのですが)意味のつながりを間違えてしまうものがいくつもあります。
思草歌の最後の方に「ただいま」という歌が組み込まれています。
一青窈さんの熱唱に、こころが揺れます。
この歌の主人公は、無いものをねだる「自分」です。
ところがそれは、子供だった自分に、そして誰かに自分を伝えたいいまの自分に、そしてその自分を受けいれて欲しいと願う誰かへと、それぞれに変わって行くのです。
この「無いものねだり」の順序の中に、結局は聴き手である自分自身がひきこまれ、幼い子供のように突然、虚飾を剥がされ、ひだまりのように暖かでささやかな「帰る場所」を見つけて、ただ、それだけに素直に憧れ、受け入れて欲しいと願うことになるのです。
とたんにこの歌が他人ごとではなく、自分の過去に照らされます。
無くしても、変わっても、どんなふうにねじ曲がって、思い通りにいかなくても、泣きだしそうな自分をさらけだして、ただ、「いま」を伝えたいと、祈る。
このこころから紡がれる素直な思いが、好きで、好きで、好きで..たまには叱って、と、願う「あなた」に繋がっていきます。
それはたとえば、母であり、父であり、恋人であり...かけがえのないいとしいひとへの祈りが、ここにあるように感じました。
感動がありました。
わたしはすっかり一青窈さんが大好きになってしまいました。