ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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ルパン三世 Green vs Red 5

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宮崎監督は映画「カリオストロの城」において、ルパンとは?その本質とは?という問題に対する答えを描きました。
ここには多く、最初のテレビアニメ「ルパン三世」のファンが共感する「答え」が用意されていたのです。
映画は公開され、興行的に失敗します。
そのせいで宮崎監督には3年ほど、アニメ映画監督の業に携われない期間が生じます。
しかしこの作品は後にテレビ放映や上映会で再評価を受け続け、これ以降のアニメ映画に大きな影響を与え、なによりジブリ宮崎駿監督を生んで行く原動力にもなって行くのです。
スティーブン・スピルバーグカンヌ映画祭でこの映画を「史上最高の冒険活劇」と称し、そして国外のルパン三世ファンのほとんどが、ファンになったきっかけを本作だと明言します。
原作者のモンキーパンチは、「これは僕のルパンじゃない」とこの映画のルパンを評しましたが、それはこの物語の中のルパンの柔和さについてを語ってのことでした。
この原作者の「気付き」には、ある大きな「答え」が潜んでいます。
実はこの作品、宮崎監督は、ルパンの年齢をテレビ放映時より大幅に上に設定しているのです。
アニメの絵柄上の差異には躊躇しないまま作画は成されているのですが、劇中、クラリスがルパンを「おじさま」と呼ぶのは強く意図的に施された演出でした。
つまり、ここでのルパンはもう「おじさん」なのです。
人生経験を積んできたルパンは、その「生き方」の結論として、クラリスの救出に挑むのです。
これが、宮崎監督が模索した、ルパンとは何か?そして誰のためのルパンか?ということへの「答え」でした。
第一作のテレビアニメ版にて描かれたルパン三世のあり方が肯定されるものだとしても、生まれてしまった新ルパンの存在を否定することは出来ません。
ルパン三世というものの骨子が1stルパンに置かれるとするなら、それ以降のルパン各作品の存在はその「肉付け」ということになるのでしょう。
それらはすべて統合されてはじめて、ひとつの体系となるのです。
つまりはすべてが「ルパン三世」であるということに変わりはないのですが、物語は40年を迎え、一度その失いかけた「意義」をこそ確かめる必然に至るのです。
その大きな節目にあたる物語が、ここからやっと解説のはじまる「ルパン三世 Green vs Red」の存在というワケなのです。