ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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ルパン三世 Green vs Red 1

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さて、ルパン三世のお話のはじまりです。
実は私のYahooブログは、もともとこの「ルパン三世 Green vs Red」からはじまったのでした。
当時、どうしてこのお話を語りたかったかというと、そこらへんはけっこうカンタンな理由からでしたね。
みんながこのお話を、さっぱりわからないと評するんです。
私、それって違うだろ、と思いました。
でもこの流れはとまりません。
最悪なのは、amazonの評価でしょう。
ルパン三世が登場してからすでに40年以上がたちました。
だから、100人のヒトがいれば100のルパンのイメージがあるのは当然だとも察します。
イメージを抱くことは自由なこと。
それでもその「本質」というものが、そんなにブレるというのもおかしなハナシです。
ただ、そこで問題が浮かび上がるのですね。
じゃあ、ルバンの本質ってなんだろ?というコトに躓くワケです。
テレビの再放送が繰り返され、ルパンのカッコ良さが理解出来かけたころ、子供たちはみんなルパンに憧れはじめました。
チャーリー・コーセーの唄うおそろしくカッコいい主題歌とエンディング・テーマがあたまの中でリフレインする最中、私たちはルパンに夢中になって行きます。
みながルパンの真似をしたがります。
でもルパンになるには越えられないいくつかの壁がありました。
手に入らない資格。
それは、怪盗アルセーヌ・ルパンの血をひく3代目という血統と、IQ300の頭脳、そしてクラッシックカーと峰不二子です。
それでも男の子たちがクールでバツグンにシャレの利いてたルパンに憧れ続けたことに変わりはなく、町中にはたくさんのちびっこルパンがいたものでした。
時が経ち、新しいルパンの登場に期待してテレビにかじりついた私たちは、なんだか複雑なキモチになりました。
2代目のルパンは、オシャレなんだけれど、なんだかぜんぜん深みがないのです。
それでもこの2代目のルパンのおかげで、「ルパン三世」というブランドはとてもメジャーになって行きます。
でも最初のルパンのファンだった少年たちは、新しいルパンのことはもうテレビのチャンネルをあわせることもしないくらいにキモチが離れて行ってしまうのです。
だって、おもしろくないのですからしょうがない。
毎回適当なツジツマ合わせのドタバタに、何がなんでも「ふ~じこちゃ~ん」で通す演出にうんざりするのは当然のことでした。
ところが、慢性化を好むひとたちもいます。
出来上がったパターンが繰り返されることに「安心」を感じてしまうひとたちです。
そういうヒトたちにとっては、「お約束」な展開こそがここちよく、出来るだけわかりやすくて薄っぺらいお話のほうが馴染んでしまうのです。
何故か?
それは、「自分で考えるチカラ」が脆弱だからです。
家族の絆が弱いからです。
あんまり「自分」というものが無かったからです。
だから繰り返すもののなかに「安心」を求めてしまったのでしょうね。
ブレたのです。
本質が惚けたのでしょう。
一事が万事です。
「なんとなく、ファニーな」がラクなひとたち。
そういうひとたちは、趣味も言うことも、なんだか「つまらない」ヒトが多かったようにおもいます。
どんなことを楽しく感じたか?という、それだけのことではあるのですが、これはまるでリトマス試験紙のように、その人間の性質をよく映すこととなってしまいました。
こんなふうに、長い年月の中で、ルパン三世という物語には、極端に分かれたふたつの層のファンがついてしまうことになったのです。
つまり、ルパンの何がおもしろかったのか?が、いよいよわからなくなったのでした。