ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

大阪アジアン映画祭

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写真は無意味に凛々しい(笑)ピンゲーオ監督ですね、良いと思います(笑)。
監督のファッション、素朴で好きですよ。
さて、先にも書かせていただきましたが、いよいよ大阪アジアン映画祭です。
で、正直なところ、ジージャーの来日をおおいに期待していたのですが、なんだか叶わないようですね、うーん、残念。
この1年間の女優ジージャー・ヤーニンの「変化」は、良くも悪くも大変おおきなものがあったと感じています。
そんな中でジージャーのことを追いかけていても、遥か遠いかの国からネットを経由して来る写真や情報で彼女の「いま」を察するのには、どうにも限界を感じてもいるところでした。
ジージャーの来日の意義。
来日が叶えば、それはもちろん第一に「映画のプロモーション」として素晴らしい成果をもたらすことでしょう。
でもそれだけではないのです。
私、日本人や日本の文化とジージャーが接触しつづけるということにはおおきな意義があるのではないか?と思うのです。
タイの女優である彼女は、当然、タイの文化の延長に身を置いています。
それはそれでナチュラルなことで、美しいバランスを持つことだとは思うのです。
でも換言すれば、そこに染まるほどに、それは「井の中の蛙」をつくっていくことにもなってしまうのだなあと感じるのです。
アジアン・テイストというものを認めるにせよ、世界に通じようと企むのであれば、いまのジージャーのルックス全般には、まだまだグレード・アップの余地が大きいと察するのです。
その意味では、ジージャーの来日が実現すると「生の現在の彼女」についておおきく知ることが出来るという点、そしてジージャー自身にとっても、日本に来ると「オシャレを意識」せずにいられなくなるだろうという点の、ふたつのギブアンドテイクが成立し、意義が大きいのです。
極論で恐縮なのですが、タイの素朴さは、世界における大いなる田舎(ああ、ヒドいぞ、俺)という位置づけから醸しだされるものに過ぎないものだとも感じます。
そこに染まるほど、感覚は鈍り続けることでしょう。
もちろん、長所はいくらも見出されるのです。
ただ、それはジージャーがローカルのスターでよいのであれば、という条件つきでの見出しです。
とか、いろいろ言いますが、結局はジージャーに日本に来て欲しいことへの愚痴ですね(笑)。
うー、ジージャー遊びに来てよ!(笑)。