ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

チョコレート・ファイター2までの間に。

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みなさん、お元気でしょうか、シアンです。
期せずして、新規投稿となりました。
ほかでもないのですが、実はジージャーのお話が終わってから1カ月が経ったにもかかわらず、ありがたいことにこのブログのみなさんからの閲覧のペースが落ちないままなのです。
いえ、けっしてたくさんの訪問者の方がいらっしゃるわけではないのですが、平均して日に25人くらいの方がご覧になられるというペースが続いているということです。
ありがとうございます。
私はこちらのブログとは別に、楽天にもいろいろと書かせていただいているのですが、あちらのブログは訪問者数はけっこう多いのですが、実際にはずいぶんインチキに出来ていて、そのほとんどが広告のための閲覧の呼び水です。
それに対してYahooは、ずいぶん深くこちらのブログの中味を読み取ってくださる方が多く、どうにも単純にバッサリと終わるには心苦しいモノを感じて一月を引っ張ってしまったトコなのです。
でも、惰性で続けるのも見苦しい。
ジージャーのお話は、先にも述べましたように一段落です。
正直なところはイロイロと書きたいことも浮かんだりしてるのですが、それは追って「チョコレート・ファイター2」が産声をあげた折りに、徹底して行ってみたいと考えるところでもあります。
なによりいまは、NAOさんの「ハートは元気!」を拝見させていただくのが毎日の最大の楽しみになってしまっていまして(笑)、すっかりジージャーのことは安心して見ていられるキモチでおります。
ジージャーファンのみなさんは、ぜひ、NAOさんのブログも応援してくださいね。
http://amovieiavitamin.air-nifty.com/haert_ha_gennki/
で、この数日いろいろ考えました。
結論として、こちらのブログにも再び、チョコレート・ファイター2までの間、テーマを設けてまたまた自由に思うところを書いてみるのもアリかなと思い立った次第です。
いま考えている次の展開に向けてのテーマは、「理解」ということ。
私、思うのです。
チョコレート・ファイターを観るいろんなヒトたちが、ジージャーの演技のことを不当なほどぞんざいに評価する原因が、いまの時代のヒトに共通する「気付きの弱さ」から来るものなのではないかなあ、と。
目にみえることが、ヒトの解説や説明がないと理解できない。
そういうヒトは、他人のキモチになって考えるチカラをほとんど持ち合わせていなかったりします。
自分がいま携わっている事実が、誰かに意義付けされないとわからない。
注意深さにまったく欠けて、なんとなくの雰囲気でしかモノゴトを理解するチカラがない。
結局そうして、重大な「価値」を喪失してしまうことの繰り返し。
そして失くしたあとでいつも「なんでえ!?」と言う。
世の中においての「自分」という座標の理解ができないのです。
ステレオタイプでモノゴトを捉えるために生じる、自己実現においての現実との歪みの問題。
それはもう純粋に自分のせいなのに、それを「社会が不当だ」と平気で文句を言うヒトが多すぎるように思います。
なんでこんなコトになっているのでしょうね。
みな、常識とか社会規範とか、見えない何かに従順であるのは良いのですけど、こんなにも気付きや理解するチカラが弱くて大丈夫なのかな?と思ってしまうのです。
こうしたことを論じてすすめるのは、それはそれでオモシロイとは思うのですが、お話が散り散りに広がりすぎるとも察するところですので、ここからは、あるアニメ作品を下敷きにしながら、この「理解」という問題を掘り下げてみたいと思います。
取り上げる作品名は「ルパン三世 Green vs Red」。
世の中のルパンファンが、口をそろえて「さっぱりわからない」と言う問題作です。
ちょっとやってみようと思います。
ジージャー・ヤーニン応援ブログなのに、当分ジージャーは出てきませんので、申し訳ないです。
それでも読んでみようかな、という方。
なんとなくおもしろそうだと思っていただける方。
ご不快でなければ、よろしくお付き合いお願いいたします。
では!