ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

何れ、遥けき国のことども (後編)

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ジージャーを応援したい、彼女のことをもっと知りたい」と願い、手掛かりとしたのはほかでもありません、インターネットでした。
タイ語のスペルをコピーして検索をすれば、ジージャーを追いかけることは出来ます。
そしてYoutubeです。
現在のYoutubeは世界に向けての情報発信のひとつの手段として活用されている側面があり、実際にジージャーの映像に触れる多くの機会をここから得ました。
文化も言葉もわからないまま、ただひとりの少女に何かを感じて追い求める。
最初、それは楽しい作業でした。
しかしその内に感じはじめたのは、ジージャーにとって今のこの成功は、ほんとうに彼女のためになっているのかな?という疑問でした。
浮かれている間はあまり気にもとめなかったのですが、テレビ番組の様子などを眺めている内にあらためて、タイという国について思うところが深くなるのです。
文化の違い、社会認識の違い、経済の違い、etc..
闇の子供たち」という作品をご存じでしょうか?
ここには、ジージャーの明るさとはかけ離れて異なるタイの物語が書かれています。
もちろんこれをタイという国を知る判断の基準に置くことはありません。
ただ、日本がそうであるように、タイもまた多様に理解されるべき地であるという事実を完全に忘れていた自分に気付いたのです。
タイのマスメディアに「アイドル」として関わるジージャーには、私個人の感想としてですが、映画でみせたような溌剌とした純粋さはあまり感じられませんでした。
もちろんそれは極端なものではありません。
常に、笑顔と前向きさを垣間見ることは出来るのです。
ただ、何か、それを見ている側の当の自分のキモチがしっくり来ないのですね。
そしてふと、思ったのです。
ジージャーを知りたい、という熱心な想いは、ほんとうは何を求めてのことだったのだろう?と。
ジージャーの情報をより多く集めて満足を得る。それだけなら、タイで発行されるであろうジージャーの特集本の翻訳版に微塵もかないません。
あるいは最新の映画出演情報をいち早く知って喜びたかったのでしょうか?
いいえ、実際には「レイジング・フェニックス」を評価しない自分がいるので、これも違います。
しかし答えは見つかりました。
ボーイッシュに装い、場合によってはメイクすらほとんどしていないように見える場合もある最近のジージャーをみて、そして気づきました。
私は結局、ほんとうに純粋に、ジージャーを「応援」したかっただけだったんだということに。
換言すれば、彼女のどこか深いところに、そんな「応援」を必要とする心の揺れを感じていたということなのでしょう。
強さの中に宿る脆さ。
彼女の身を、わがことに置き換えて感じてみましょう。
「心が折れない」と他人の言葉で括られる強さへの対峙。
何年も前の仕事のことばかり持ち出されても、それを真摯に、かつ前向きに受け取り応じる寛容さの強要。
彼女の成長への期待は、ファンの期待する「アクション女優の像」の中にトレースされるという束縛。
世界のどこかでは今日も、映画「チョコレート・ファイター」はひとり歩きをして、彼女へのいくつもの勝手なイマジネーションが生まれていることでしょう。
フィルムの中のジージャーは歳をとりません。
けれども現実のジージャー・ヤーニンは、タイというここからは遠く離れた国のどこかで歩みを止めることなく邁進し続けているのです。
自閉症」という障害を扱った彼女の映画が、世界中の多くの自閉症者への理解への一助となることを願う自分がいます。
映画の冒頭には、ピンゲーオ監督のメッセージがありました。
この映画はタイから発信されましたが、それをどのくらいの国のどれくらいの人々が受け止めてくれたでしょうか?
1997年9月、石原東京都知事はこの障害の施設を視察した際、「ああいう人たちには人格はあるのかね?人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」という信じられない発言をしています。
そして付け足すように「でも仕事をしているのは素晴らしいことだ」と括るのです。
ディベートやら理屈をこねるのに長けた人にかかっては、いくらも「誤解だ」と誤魔化されてしまう話ではありますが、いずれにしてもこれがこの国のいまも変わらない自閉症者に向けての本音には違いないでしょう。
人の痛みを感じることの出来ない、そんな悲しい人間の集まりで世の中が染まらないようにと、いつも何かしなければと働きかけてはいるのですが、私に出来ることはいつもどうにも小さなことばかりで、カタチもままならないものばかりなのです。
それに比べたとき、ピンゲーオ監督の踏み出した歩みの大きさは、私にどれほど大きく映ったことでしょうか。
そしてその遠い国から発信されたメッセージを表現する、あの魅力的な女の子が、どれほど素晴らしく感じられたことか、ということなのです。
応援せずにいられません。
これから先も、ジージャーにはいろんな問題が見舞うことでしょう。
大丈夫。
みんな、あなたのことを信じて応援してる。
頑張ってね、ジージャー!