ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

少林少女 2

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チョコレート・ファイター」と「少林少女」を、アジアの女子主役での格闘技映画として比較しまうのは、どうにも乱暴なことのように思います。
求めたものが、それぞれに違うからです。
柴咲コウさんの演技が、中国拳法を演じるのに十分でないとか、そういう問題は、この映画がエンターティメントを求めたものであることを鑑みればあまり関係のないことでしょう。
ただ、それでも柴咲コウさんの演技に向かう姿勢は真摯なものでした。
身体の動きはアクション女優でないという事実を踏まえればまったく素晴らしいものでしたし、撮影にあたっては実際に蹴りを受けるということを自ら要請して体験しているのですが、それも「リアリティ」を求めての申し出でした。
「ハイキック・ガール」の項で述べたように、映画は優れたひとりの主役で成り立つものではなく、その映画の製作に携わるすべての人々の意志の結晶として成り立つものです。
エンターティメントとして求められた映画の中で、彼女が仮に2年なりをかけてカンフーを習得して、それをメインに据えた映画にしてしまったとするなら、それはどうにも本末転倒というものでしょう。
日本人女優でのカンフーアクションスターを、柴咲コウさんにお願いして、彼女のワザのキレを売りにした映画にしたかった、とするなら、これはもうお話にもなりません。
昔、「燃えよカンフー」というテレビドラマがありました。
ブルース・リーが発案し、懇意にしていたプロデューサーにネタのみ奪われ、バレエダンサーが主役を(足が高くあがるからという理由で)つとめた作品です。
このドラマはそれなりの成功を納め、そして忘れられました。
当時の黄色人種へのハリウッドでの差別が、こういう悲しい強引なことを成して行ったのですが、これこそは、求めたものと描いたものとの乖離です。
そこに描こうとしたものが違ったから、悲しいこととなったのです。
そして映画「少林少女」は、そうではなかったのです。
エンターティメントを求めた作品に、カンフーのエッセンスを加えたのが本作だったのですから、これはこれで「正解」だったのです。
ただ、アクション映画のファンとして「物足りない」という声は否めません。
なかなか日本では、「チョコレート・ファイター」のような作品は、製作着手そのものが難しいものだと思います。
今後の意欲的なチャレンジャーの出現に期待します。
ただ、それはそれとして、柴咲コウさんの演技への真摯な姿勢は評価します。
気がつくと、ファンになっていたのですが(笑)。