ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

フィルムの中のジージャー 2

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映画「チョコレート・ファイター」には、大きく削られた部分が存在します。
それらを紡ぎ合わせると、この映画はあらためて「因果応報の物語」として認識されるものと想像出来るのです。
先にも述べましたが、この映画はジンを中心に据えた物語の展開を見せている側面を持っています。
結局はジンの死までを描く物語なのです。
ただ、このお話の中でわたしが呼び出したいのは、もう2度ともどらない、フィルムの中のゼンを演じるジージャーの少女時代の記録についてです。
そのためには、今一度、この映画の本質やジージャーの演技の深さについてよく覚えておく必要があるでしょう。
ここではまず、この点を掘り起こし直すことで、この映画の本来持つ骨太なドラマの描写部分を再認識してみましょう。
未明の部分を含めてストーリーをふたたびなぞってみたいとおもいます。
まずはジンの転居です。
世界配給版での「チョコレート・ファイター」では省かれていますが、マサシは帰国後もジンたちの生活を気にかけ、部下たちを使って逃れのための新居を用意してあげています。
母子ふたりだけとなることでなお深まるゼンへの「思い」が、生活の中のジンの視線で描かれ、そこに(本編でも描かれている)ゼンの障害への告知が被ります。
ジンの思いは更に深くゼンに注がれ、孤独と不安と焦燥と、育まれて行く「母性」が描かれます。
そういう生活の最中、逃れたどり着いた新居を捜し当てた肉屋とオカマが突如、ジンを襲いに来るのですが、ここの部分も大きく省かれています。
そしてその様を、幼いゼンが見ています。
肉屋にしても、虐げられてきた事実があるのですから、もともとジンに対して好ましい感情は持ち合わせません。
ジンの裏切りは、かつての自分と肉屋の立場を変えて再現されます。
これが「業」の応酬のはじまりです。
そしてさらにまた逃れたその先にも、魔の手は迫ります。
ナンバー8によって足の指を切られるジンですが、このシーンには続きがあり、マサシの手下たちによって救われ病院に運ばれたジンに、義指が施されているのですが、このすべてをゼンが見ているのです。
物語の「深まり」は、事件のたびごとに絡むマサシの手下の日本人一派のおかげで、カタギになったはずのジンの立場を悪くさせ、ナンバー8ファミリー対マサシ一派という対立を明瞭にしていってしまうのです。
これもまた、「業」ということなのでしょう。
本編では実に、こんな重要な沿革が省かれてしまっていたのでした。