ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ポンパット・ワチラバンジョン

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写真は映画「ミー・マイセルフ 私の彼の秘密」の舞台挨拶で、タイ好きのワッキーもいたりしますが(笑)、左端の方が今日のお話の主人公ですね。
タイの俳優さんのお名前がそんなに簡単に日本人の耳に馴染むはずがないとは察するのですが、この方のお名前なんかもなかなか難しい方だと思います。
ポンパット・ワチラバンジョンさんは、映画「チョコレート・ファイター」のナンバー8役、タイのベテラン俳優さんです。
この方の活躍ぶりは、日本でいうと故伊丹十三さんのような感じでしょうか、監督をやったり歌手をやったりと、マルチ・パーパス・プレイヤーで、タイの大スターなんですね。
役振りの傾向としてはあんまり「悪役」というのはないそうなのですが、映画「チョコレート・ファイター」の中でのナンバー8にしても、ちょっと含みの深い役柄だと思います。
この物語はもともと、ジンの裏切りからはじまります。
ナンバー8は、支配や征服ということが、愛するということの具現の姿だと思い至っているフシがあって、所有するモノに刻印(具象)を与えることが束縛のカタチだといわんばかりに、ジンの足の指を切ったりしますが、それと同時にジンのポートレートを大切にしていたりするのです。
ここには、日本人の好きないわゆる「悪」とか「善」とかという感覚が感じ取れません。
ただ、それはまた、わたしたちの感じ方の勝手でもあるのです。
そもそも勧善懲悪という考え方は、江戸時代に読み物の世界から派生した観念であって、現実の人間の生活には多く、正義という儒教的な絶対で説明のつかない為政の姿、たとえば戦争というものがまさにそれですが、そういう矛盾の成立が氾濫しています。
ナンバー8の価値観からすれば、欲して自らのものとならなかったものへの執着の中に「愛」があり、その成就されない感情が行動の原因となっています。
これもまた、愛ということなのでしょう。
ところでこの役名ですが、私なんかですと「ナンバー○○」という呼び方に、すぐに「プリズナー・ナンバー6」という大昔のテレビドラマが連想されるのですね。
個人の名前ではなく、ひとが記号が呼ばれることを問題とする物語でした。
アラビア数字の「8」は、同時にインフィニティ(無限)をあらわす記号でもあります。
先にも述べましたが、この物語の軸は、ゼンのお母さんのジンをめぐる「業」の流転の物語です。
終わらない業の連鎖ということで括るなら、奇妙なことに、この物語におけるナンバー8の役割と役名はリンクしてしまうことになりますね。
偶然なのでしょうか。