ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

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ひとりごとをぶつぶつと言っていたある若い人が、唐突にスーパーの棚に置かれた容器入り洗剤を並べ直しだす。
黙々と並べ直す。
どんどん並べ直す。
不信に思ったお店の人に声をかけられるけれど答えない。
店長を呼ばれて身体に手をかけられると、突然、狂ったように騒ぎだす。
驚くほど騒ぎだす。
手がつけられなくなって警察が来る。
持ち物から身元がわかる。
障害者だと判明。でも、警察もお店も、このひとのどこが障害者なのか、ただの躾けのなっていない知恵遅れの人間に違いない、と思い込む。
親が駆付ける。平謝りにあやまる。
まったくだらしない、親の教育がなっていないから、と一方通行で文句を言われる。
親はすいません、すいませんを繰り返す。
当の本人はおびえているだけで、反省の様子はない。
まったく、と、お店のひと。

これが、この国の自閉症をもつ家族の日常茶飯事。
彼らや彼女たちは、脳の気質障害の故に、健常な人間が何の苦労もなく手に入れているコミュニケーションという当たり前の行為を普通に成すということが、そもそも困難なのです。
コトバとその意味がリンクしない。
行為は記憶の再現のみ。
自己の発露や表現を、他者の存在をとり入れたカタチでは展開できない。
それが、彼らや彼女たちの現実なのです。
映画「チョコレート・ファイター」では、劇中、ジンが病気で定例化したお出掛けの日の約束を履行できなくなったことで、ゼンがパニックを起こします。
そして借金を返してもらいに行くシチュエーションでは「お金返して」と、異常な執着で同じ要求を反芻し続け、騒ぎつづけます。
みなさんには、この演技はどのように映ったでしょうか。
大きなストレスが加わると、自傷や硬直がはじまり、ハサミで突然ジャキジャキと髪を切りだしたり、同じことを強情に際限なく繰り返しはじめたり。
ジージャーの演技は、実に事細かく自閉症者の特性を表現しているのです。
幼いころからゼンは、シリカゲルを並べたり、チョコレートを並べることを無作為に繰り返しています。
これはもう、典型的な自閉症者の特性です。
透かすようにモノをななめに眺めながら、キラキラとしたものに惹かれて光を楽しむ。
それでも、人との視線はかわせない。
劇中、この特性は実に緻密に再現されていて、ムンと腕を組んで倉庫をたずねるシーンのゼンの目線などは、まさに自閉症者のそれで、驚くほど上手なのです。
日本人のほとんどは、そういう人間が現実に存在するということを、実際には知らないでしょう。
ぜひ、この映画を見ることが、そうした障害への理解に繋がってくれればと願います。
この映画の持つ多様なメッセージ性については、もっともっと理解を深めて欲しいなあ、と思うところです。