ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ソム・アマラー・シリポン

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チョコレート・ファイター」のお話は続きますが、実は重要な登場人物のほとんどを、まだ取り上げていません。
とりわけ重要なのは、マサシとムン、ナンバー8とジンでしょう。
まずはゼンのお母さん、ジンを演じるソム・アマラー・シリポンさんについて取り上げてみます。
ソム・アマラーさん。タイでは有名な歌手であり、モデルさんです。
この映画の中ではきわめて重要な役柄なのですが、ご自身のメッセージは残念ながら日本のメディアには届いてきません。
映画「チョコレート・ファイター」ではどうしても阿部寛さんとジージャー・ヤーニンさんが前面に出てしまっていますので、他の役者の方たちは全員違わずとても控えめな立場になってしまっていますが、本来は、ジージャーこそが唯一の新人なワケですね(笑)。
映画の中でのソム・アマラーさんは、ナンバー8の愛人の時期からゼンのおかあさんになり、その死までを描かれているのですから、質実、この物語の主人公のようなものです。
そして物語の中では、未熟で「不実な」オンナから母への成長が描かれますが、ゼンをめぐるエピソードは結局、このジンの成長までの因果応報のお話なわけです。
悪の一味として若い時期、肉屋とかをいたぶっていた身が、一味から身を引いてのち、今度は肉屋に痛めつけられ(このシーンは未公開。削られていますが)、こんどはその肉屋をゼンが全滅(笑)させるというふうに、です。
そしてジンはゼンをもうけてのち、白血病という病気になるのです。
仲間を裏切り、混血の子供を生み、若いころの復讐の報いをうけ、その止まらない連鎖にまた巻き込まれ、絶命する。
ゼンを生んだのち、ジンはナンバー8によって足の指を切られます。
人間の身体に刑罰で入れ墨をしたり、手足を損なわせたりするという習慣は、カルマや運命をその人物に照らし合わせるための具現の「儀式」です。
漢字の「幸」という字は、手足を取られ、胴体に首だけが残っているということを表す象形文字ですが、意味も同じです。
手足をもがれても、胴に首が繋がってるのだから、ありがたくおもえ、というのが、しあわせというコトバのほんとうの意味なんですね。
みなさんはこのことをどう感じるでしょうか。
チョコレート・ファイター」の物語のなかでは、こうしたカルマの問題が、ハイ、これですよ、ソレだよ、とは「名のらない」ままに、いくつもいくつも散りばめられ、隠されています。
これは舞台がタイだから、仏教国だからとかということよりも、制作者が扱い、コラージュした「題材」の中に、そもそもそういう問題の本質が隠されていたからなのだと思います。
そういう意味では、ジンは映画「チョコレート・ファイター」の裏の主人公なのかもしれませんね。