ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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自閉症を描く映画

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過去、自閉症者を題材としてとりあげた映画には、以下のような作品があります。
まずは「レインマン」。
ダスティン・ホフマンの代表作のひとつになりました。
この作品を契機としてこの障害の存在を知ったひともおおいのではないでしょうか。
そしてあとは、「マーキュリー・ライジング」と「チョコレート・ファイター」。
ちょっと驚きです。
レンタルビデオ店で借りられる可能性があり、知的発達障害ではなく明確に「自閉症」をとりあげているメジャーな「映画」というのは、実に、このくらいしかないのです。
発達障害をテーマとした映画としては、たとえば「アイアムサム」や、「フォレスト・ガンプ」、「ギルバート・グレイプ」、「妹の恋人」など多々あります。
これらの映画の主人公たちと先の「自閉症」映画の主人公たちとの決定的な違いは、演者の視線への配慮にあります。
こまかなことはここでは掘り下げませんが、自閉症者と言ってもタイプは様々で、これがスタンダードというスタイルはありません。
ただ、その症状が重度でも軽度でも、その特徴として自閉症者が他者と自然に目を合わせるという事態は起こりません。
もちろん、訓練で補われるものではありますが、訓練を要するということは換言すれば、それはやっぱり「自然」には成されないという事実の証明でもあります。
成立しないにしても、会話は交わせます。
ただ、重度の精神遅滞を伴う場合は、そもそもしゃべれない例もあります。
それでも、見た目は健常者とあまり変わらない(発声や行動が伴えば異常が際立つのですが)ために、認識の無い第三者などに誤解されるケースが非常に多いのです。
障害の問題点や個性をメッセージとして届けようとする映画や、ドキュメンタリー的なものなど、映画という枠で考えると、作品本数自体はけっこう数えることが出来るのです。
ただ、そうしたものが一般の方たちの目に触れることはきわめて稀です。
見えざる悲しみの渦が、そこにあります。
わたしたちは、この障害についてもっともっと知るべきなのです。
日本の映画やテレビドラマでも、一時期集中して知的障害や自閉症が扱われたことがありましたが、なかなか文化としての根は生えるというところにまでは至ってない、というのが事実でしょう。
流行りや気まぐれの同情のタネとしてではなく、痛みへの気付きとして、こうした問題はもっともっと認識されるべきことだと思います。
その意味において、ジージャーの体験や学習と、その表現である映画においての演技などは、きわめて貴重な「機会」だと言えるわけです。
先にも述べましたが、ジージャーはこの障害のことをずいぶん勉強し、そして実際に体験し、持ち前の才能からこの経験を自分のものとして行きました。
映画「チョコレート・ファイター」は、もちろん、アクション映画として屈指の傑作だと思うのですが、それと同時にこうした細やかな問題を取り上げているという点についても、いま一度、意識を置いて見ていただきたい作品だとも思うのです。