ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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酔拳2

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ジャッキー・チェンアニタ・ムイの傑作、「酔拳2」。
出世作酔拳」から、実に16年目の続編でした。
実在の英雄「黄飛鴻(ウォン・フェイフォン)」の物語は、映画の題材としてはきわめてポピュラーなもので、ジャッキーの独占物ではありません。
酔拳2」は他の役者が演じる黄飛鴻ジャッキー・チェンがみて、本家はオレだという勢いで撮影した作品だと、当時のコラムで読んだ記憶がありますが、いろんな意味でジャッキー・チェンにとって原点的な大切な意味のある作品ではあるのでしょう。
この作品では特に、故アニタ・ムイさんの演技が素晴らしいです。
いくつかの共演の中でも一番の作品ではないでしょうか。
この作品ではまた特別出演でアンディ・ラウも登場していますが、彼はそののち、ジャッキー・チェンの絡まない「酔拳3」で主人公を演じています。
おそらくはジャッキー・チェンの純粋なカンフー映画として最後のものとなる同作ですが、実はこの映画には、日本では公開されていない別バージョンのラストが存在しています。
日本版、というか世界配給版では、写真のようにジャッキーが工業用アルコールを飲んで口から泡を吹いているシーンで終わります。
でもほんとうはこの後に闘い終わり数日後のシーンが加わっていて、つまるところ、ジャッキー演じるフェイフォンは発狂してしまっているというオチなのです。
コメディーに仕立てたつもりにしてはあまりにもブラックに過ぎるので収拾がつかないラストとなってしまいました。
ジャッキーはのちに、軽んじて酒を飲んだことの罰があたったということを表現したのですが、と説明していますが、これではどうにも足りません。
結局、このラストは封印されることになります。
表現と感じ方の違いの問題。
確かにそれはそれだけのことではあるのですが、映画の世界にあるこうした民族や個人の感覚の差異という点については、これから撮影されるであろう「チョコレート・ファイター2」についてもちょっと危惧を感じてしまうところがあるのです。
ご存じのとおり、タイ作品の「チョコレート・ファイター」は、実に容赦のない過激な撮影形態をとる作品でした。
というか、コレ自体がウリでさえあります。
次ぎに、主人公も敵対する相手(特にトーマスのことを指します)も障害者であるという描写は、この映画の配給についてもずいぶん水を差した材料になっている点だと伝え聞こえてくるところです。
障害者が闘う、ということへの訝しい思い。
「これって、マズくない」といったような感じでしょうか。
個人的に言わせてもらうならば、これらの問題への多くの無理解は、内容をよく精査しない方々による偏見だと言い切りましょう。
でも、この映画をよく見てなお、障害者が格闘する阿鼻叫喚の地獄絵図というようなコトを述べる評論家の方まで存在するというのが現実です。
どうしても配慮は必要になるでしょう。
この手の攻撃から映画「チョコレート・ファイター」を救っているのは、ゼンを演じるジージャー本人のキャラクターが負うところが多大です。
各国でのプロモーションにおける、彼女の明るくおしゃべりなキャラクターが、作品の暗い側面を払拭し続けているのです。
誰もジージャーのあの笑顔を見てしまったのち、映画「チョコレート・ファイター」を、地獄絵図とは呼べないでしょう。
映画というものは、商品としてのフィルム本編と、イメージ創出のためのプロモーション活動との両輪で成り立つものなのです。
とかく、ヒトは「印象」という茫漠としたエネルギーに左右されやすい生き物です。
印象を大切にしていくということは、どうにも大事な作業なのですね。