ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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「チョコレート・ファイター2」を考える 4

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映画作品の「特徴付け」ということについて考えてみましょう。
一本の映画を大きな目で見てみると、その作品全体が醸しだす背景の印象や、文化様式の披瀝、価値の取捨選択という描写に「特徴」というものをかいま見ることができます。
これこそが、その映画の彩りということでしょう。
お国柄とか、時代背景とかがその代表です。
映画「チョコレート・ファイター2」は、舞台の変遷自体がすでに必然ですから、まずはこの「外国に移住した主人公」という事実自体が物語の特徴を生むべき材料ではあります。
都市構造や建築物の高さの違いや交通混雑の風景など、それぞれに用意はあります。
そしてなにより、日本とタイの習慣の違いは、映画の特徴を語れる大きな材料ではあるでしょう。
しかしこの点を掘り下げるというのは、この映画に関しては実はちょっと厳しい問題になってしまうのかもしれませんね。
その理由は、ゼンの障害にあります。
つまりもともとコミュニケーションが困難な自閉症のゼンにとっては、日本とタイの慣習的な文化面の差異というのはあまり関係ないのです。
自閉症という障害を介して見るとき、彼女にとっては、もともと世界中のすべてが「外国」です。
それでも強いて特徴を設けるとするなら、日本人の他人行儀な接し方への違和感や、障害者への無理解さをわざと描写するとかは出来るでしうょうが、舞台国となる外国を批判的に描いても映画興行が成功するとはおもえませんし、そうした轍を外国人監督が踏むとも思えません。
そういう点を鑑みると、外国人にもわかりやすいであろう日本の特徴というものは限られて来ることとなります。
でも、ここで「気付き」が必要になりますね。
観客の視点、あるいは年頃の男女という視点からみたとき、先の「チョコレート・ファイター」の舞台であるタイの彩りと、日本を舞台としたときとの大きな違いは、その実、いくつもの「わかりやすい」モノが潜んでいるのです。
たとえば異常な交通混雑、溢れる人間の多さ、書籍や家電や電脳文化の氾濫などなど。
東京という局地的な状況をうまく使えば、材料というか物語のきっかけとなりそうな素材は、その実けっこうたくさんあるのです。
そして主人公が女の子であるということを踏まえて、これらの中でもちょっと際立った大きなものについてふれてみましょう
それは、日本とタイのファッションの違いです。
日本の都市生活者のオシャレさは、世界的に見ればこれはもう圧倒的な特徴なのです。
タイが舞台となる前作では、ゼンのファッションは可愛らしくはあっても、オシャレとはいえないものでした。
今作においては、ちょっと年上になったゼンに、日本のファッションのエッセンスを加えるということだけでも十二分に、作品全体への魅力的な「特徴」の演出が可能となると考えられるのです。
映画というものが「絵」である以上、魅力のある女の子を華やかに演出して魅せるということは、とても重要な要素ですね。