ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

キングスマン

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主人公のエグジーであれ、ソフィア・ブテラ演じるガゼルであれ、当てはめて思うところ、どちらもジージャーでイケるなあ、という作品でした。
では、なぜそうなっていないのか、といえば、これはもう単純なハナシで、ジージャーが「その近く」にいなかったという、それだけのことです。
ソフィア・ブテラなんか、そもそもダンサーですからね。
アクション女優の道をすすめる方法にせよ、彼女のようにいろんなカタチがあるんじゃないのかなあ。
いや、まあ、映画のほうはおもしろかったです。
この映画を観るちょっと前、タイ映画の「レベル13」という作品をみてました。
なんで観ていたかというと、大分前にこのDVDを観ようとしたとき、導入のつまらなさと魅力のないキャラクターの揃えかたで、退屈になって止めてしまったのですが、ともあれ観ておかないと語れもしないか、と、あらためて観た次第でした。
で、通して観て、やっぱり観なければよかったかなあ、という感想をもったのですが、どうしてそう思ったかと言うと、ほかでもありません、つまらなかったからです。
汚らしく、詰めもあまく、メッセージもカタルシスもない、いろんな作品のパッチワーク的な模倣で、不快な印象しか残りませんでした。
チョコレート・ファイター」のような、魅力のある良作を見受けるタイ映画ですが、一方でその他のいろんな作品を通じて感じるのは、総じて「観る側を不安にさせる」未熟な何かが潜んでいるように思わせる点です。
それはメッセージ性の希薄さ、独特な詰めのあまさ、外国の作品の未熟な模倣を続ける姿勢などに原因があるのだと思います。
そういう意味ではこれ、タイ映画の悪いところの集大成でした。
そして映画は、やっぱり「まずは、エンターティメントでなければ」と、あらためて思わせてくれた作品でした。
順番で言うとそのあとにたまたま「キングスマン」が来たわけで、繋げて観ようとしたわけでもなんでもありません。
でも、そのせいで、タイ映画の弱点が分析できてしまいました。
キングスマン」は人気を得て続編も決まりましたが、正直、そんなに大作という感はありませんでしたが、それでも、観るものを高揚させる趣向や、カタルシスをおおいに感じさせてくれる、まさに「エンターティメント」な一作でした。
こういう作品こそ、ジージャーにとって大事な一本なのだとひしひしと感じるのです。
悔しいなあ..