ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ぶどうのなみだ

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ランダムにいろんな作品をとりあげ、好悪と関係なく(いや、おおいに関係ありはするのですけど)ジージャーの参考になる道筋を模索して論じてみました。
個人的感想ですが、まだまだゴミみたいな作品、多いですね、イヤになっちゃう。
もちろん、「ゴミみたい」なんて言葉、使いたくないのです。
映画というものは、総合芸術。携わったひと達の、たゆまぬ真摯な努力の積み重ねの賜物だとおもいます。
だからこそ監督の責任は重く、参加する人々の時間や努力を無にしてはいけないのです。そうならないためには、まずはその基本となるスクリプトがしっかりしていなければハナシにならず、そこがつめられていなければすべてが台無しになるのです。
なんとなく、や、こんなふうに、でもいい。
でもその「なんとなく」を伝えたいこころは、さりげない顔をしながら、そして重さを排除しながらなお、渾身の全力での「こんなふう」でなければ、ただの安っぽい思いつきの嘘になるばかり。
よく考え、深くおもい、こころを澄ませ、自分が何を言いたいのか、何を主張し描きたいのか、そしてそれをどう伝えるか、また、ひとにどう伝わるのか、を、自分のなかに重ねてきた経験と沸き上がり生れ来る思いのもとに、責任をもってカタチにする作業。
それが、作品づくりというものであって、結果として商業的な事情や歪んだ憧れを持つものに映るものになってしまう場合であれ、生れ出ずることの大切さは同じなのです。
そういう意味で、その大切さにかなわない、モラトリアムでありながらそのモラトリアムすら描ききれていない、機会の無駄遣いのような作品が、まだまだ多い、ということを、わたしは嫌うのです。
ここのところずうっと後を引きずって不快だった作品は何、と聞かれてすぐに出てくるのは「ぶどうのなみだ」という映画です。
北海道空知の雄大な自然が舞台で、大泉さん、染谷さんが出てて、生きることの痛み、苦悩と向き合い、ひととひとが交わって活きて行く様を描く物語。
こう書くと聞こえはよいのですが、いや、もう、勘弁してほしい「うわぁ」な映画です。
何がダメって、そりゃあもう、まずはそのスクリプトがゴミです。
そしてその酷すぎる演出に後味の悪さが消えないのですね。
稚拙の見解から生れる嘘臭く上っ面ばかりの物語りの骨子に、観客無視の未成熟な思い込みの、あざとく醜い、見るに耐えない演出の数々。
すばらしい素材を、こんなふうにダメにする権利、誰であれ許されないと思います。
ちょっとまて、言い過ぎだよ。
アンタが制作したワケじゃないし、これがいいと言うひとたちだっているんだし勝手じゃないか、と、あなたは言うでしょうか。
そうなのかもしれませんね。
評価を見ていくと、なかにはアレを、やれ雰囲気がすばらしい、とか、美味しいものが出てきてただもうそれだけでほっこり、とか語る声もみかけました。
そうですね。
そういうトコをこそよく見て、アバタは探さないのがいいのかも。
じゃあ、わたしの映画を観る目も、ここらへんのほっこりさんたちにあわせないといけないということなんだろうな。
ああ、まあ、いいじゃないの。
平和でカドがたたない、それがいいよね。
なんというか、このブログも毎度のことながらみなさんからの声もぜんぜん出てこないし、その現実は、裏返せば、わたしへの共感の積極的な否定ということなんだと理解しなければね。
でも、ひとこと。
この作品に限らず、こんな観る側に気をつかわせて疲れさせる映画は、すくなくとも,わたし自身はやっぱり好きにはなれないな。
まあ、イヤなことばっかり語らず、好きなことをこそ話さなければね。
なんたってそもそもこのブログの役割は、ジージャーの応援。
彼女の今後の活躍の糧とするための、彼女の活躍をイメージさせるような、彼女のために参考になる作品をこそ論じ考察をひろげようというのが目的なんだし..