ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

参考 7

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ジージャーの参考になれば、という意義のもとに考察を重ねているフリをしながら、どうにも自分の趣味で好き勝手言ってる風にしかとれない映画評を綴る「参考」シリーズ。
ジージャー訪日とかあって中断してましたが、ここらで締めくくりましょうか。

スガラムルディの魔女
蜩の記
アフリクテッド
わたしを離さないで
アンダー・ザ・スキン
ジャッジ!
青天の霹靂
ラストミッション
闇金ウシジマくん
ゴジラ

うーん、魅力の無い作品揃い。
例外は「闇金ウシジマくん」と「ジャッジ!」ですが、ウシジマくんに関してはそもそもマンガ原作のテレビドラマ化からの映画化。山田孝之さんの演技に支えられての傑作です。
マンガのほうをご存知の方は、この作品の扱う痛みを伴ったシュールさ、リアリティーを染みるほど感じていることでしょうし、このエグいくらいの内容がなければ、作品のテーマもぶれてボケてしまうことも承知のはず。
つまりは、真似もできないし、真似しても成り立たないであろう作品で、ジージャーが参考にすべきでもないものだと思うのですね。
そして「ジャッジ!」についても、先にとりあげて述べたように、ジージャーとは遠い位置にある作品であり、ジージャーをとりまくいまの環境が変わらないかぎり、ジージャーは、こういう作品にはめぐりあうことすら出来ないだろうと思うのです。

こうして100作をランダムに取り上げ参考にしてみてもわかるように、映画というものの「核」は、たとえば公開時の興業成績や、批評家の好評の数とか、そんなところには無いのだということです。
映画は、まずは「エンターティメント」でなければならない、これはわたしの自論てはありますが、この見解は世のなかの普遍的な価値観からみてもそんなにズレたところにはないと感じています。
それを踏まえて言えること。
それは、「おもしろくなければ、映画ではないし、おもしろさを伝えられなければ、その俳優には存在している意味がない」ということです。
たとえばある俳優が、おもしろくないスクリプトや才能もセンスもない監督のせいで、結果として「おもしろくない映画」に出演することになっただけなのだから、自分のせいではない、と考えたとしましょう。
この考え、間違いです。
つまりはその俳優は、最初から、おもしろいことの近くにいようとする気付きや努力を成さなかったのだし、そうなっていくための種を蒔くことをサボっていたのだということだからです。
ユダヤのジョークにこんなのがあります。

あるひとが夜道でサイフを落としてキョロキョロさがしていました。
その様子をみてとおりがかったひとが気にして「どこらへんで落としたのですか」とたずねました。
サイフをおとしたそのひとは「ええ、あっちのほうです」と、暗闇のほうを指さしました。
たずねたひとは不思議そうに首をかしげて「ではなぜそっちを探さずこの街灯のしたでキョロキョロしてるのです?」とたずねます。
するとサイフをおとしたそのひとは言いました。
「だって、あっちは暗いじゃないですか」と。

ジージャーのいまの活動の現実は、ジージャーが行くべき道筋、成すべきこととは、かなりズレて来てしまっているように感じています。
敢えて、そう、言い切るのは、ほかでもありません、メジャーとかヒットとかの基準に価値をおかなくても、ヒトのこころに響く「おもしろい作品」には、いまのジージャー、まったく携われていないという現実があるからです。
携われていないことは悪いことなのか、努力してるのに、チャンスに恵まれないだけなのに、それをダメだ、間違っているというのか、と問うならば、その答えは、イエスです。
じゃあ、どうしたらいいっていうのか、というのなら、その答えは、ここに山ほど書かせてもらってますので、ぜひ、参考にしていただきたいものです。
大好きな女優を応援するブログで、どうにも言い過ぎなのではないか、と、思われる方々もおおいかもしれませんね。
批判はお受けします。
それでもなお、わたしは、ほんとうにジージャーのことを心配し、深く深く考えているつもりなだけなのですが。