ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

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物語というものには、ひとの人生を変えるほどのチカラが宿るときがあります。
その放つメッセージがひとのこころに伝わり、それからのそのひとの価値観にまで影響を及ぼすような大きな存在となる場合があるのです。
同様に映画にも、そうしたチカラや価値が宿る場合があるのですが、そこには、作品の「予算」や「規模」は関係無いように思います。
実際、「円卓 こっこ、ひと夏のイマジン」や「オトコタチノ狂」などは、題材の取り上げかたや予算のかけ方と関係なく、ひとのこころに迫るものがあります。
この2作、秀逸です。
一方で、「トワイライト ささらさや」「ふしぎな岬の物語」「リトル・マエストラ」、「キツツキと雨」「マエストロ!」や「銀の匙」などは文字通りの娯楽作品であって、時代設定やキャスティングを変えても成り立ってしまう凡百の駄作です。

ふしぎな岬の物語
円卓 こっこ、ひと夏のイマジン
トワイライトささらさや
オトコタチノ狂
神様の言うとおり
ソロモンの偽証
リトル・マエストラ
キツツキと雨
エストロ!
銀の匙

そうした中で、取り上げているテーマ自体が現実的には決しておおきなものではないはずなのに、その「取り上げ方」によって深い輪郭を持たせるのに成功しているのが「ソロモンの偽証」です。
この作品は原作の優れていることもあるのでしょうけど、一貫して主人公の視点で物語を描く手法が、映画作品そのものに深みを与えているようにも思います。
もし、ジージャーがこうした手法の作品にめぐりあえるのなら、やはり、それまでのあいだに「女優」としてのキャリアを固めておく必要があるでしょう。
実は「ソロモンの偽証」の主役、藤野涼子さん、この作品が主演デビューだったのですが、なんとなく、その面影には「チョコレート・ファイター」のときのジージャーがダブって見えるのですね。
これはひとびとがジージャーにもとめる側面がこうした映画の表現の仕方のなかに宿っていること、つまりは、ジージャーには感受性の高い少女のような演技を期待するという願望のあらわれではないかとも思うのです。
ジージャー自身が女優としての枠組みをひろげ、いろんな役柄を演じられるようになるのは好ましいこと。ですが、その「本質」を失くす必要もないと思うのです。
そういう意味で、「ソロモンの偽証」という映画、ジージャーのこれからに対して参考になる1作ではないかと思います。
あと、「神様の言うとおり」とか、ここらへん、存在しなくてもいい映画です。