ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

白ゆき姫殺人事件

イメージ 1

身の回りの数人がこの「白ゆき姫殺人事件」のDVDを観ていて、それぞれに異なった感想をきかせてくれたのが興味深かったです。
感想はおおきく二つに別れました。
ひとつは、つまらなかった、普通のテレビ番組みたいなものだった、というもの。
もうひとつは、多層的なアプローチが新鮮だった、おもしろいサスペンスだった、というものです。
でもわたしの感想はどちらとも違います。
わたしには、この作品にもうひとつ深い階層のメッセージが込められているように感じられました。
夕子が「でも」と、ギルバートのことを言いかけるあたりから、このお話の核心に触れた思いがふくらんでいきますが、思ったとおり、この物語りはソコに決着がもっていかれた感で終わります。
湊かなえさんの作品を原作とした一連の映像作品では、「告白」がやはり印象深いのですが、彼女の作品の下敷きにはいつも、傍観を決め込む卑怯さへの揶揄と、正しさという思い込みの愚かさを嘲笑する立ち位置からの語りかけが感じられるのです。
正しさを冗長に語る世間に殉じて、価値の基準をそこにあわせて生きていたとしても、ひとを突き動かすのはいつもその「正しさ」とは無縁の、個々人の価値観の澱です。
こういう、こころを深く構えないと見えてこない核心に気付かないでいると、観手や読み手は結局、作者のからかう「傍観する卑怯な輩」に貶められてしまいます。
ドラマを手さぐりするというだけのことでも、それはもう娯楽という名のこころの仕事なのでしょうね。
そういう、優れたコンテンツが山ほど控えているわが国の事情。
どうしてタイサイドが無視し続けられるものなのか。
それはとりもなおさず、「よく知らない」から、「実感がない」から、「誰も定義してくれないから」にほかならないと思うのですけどね。