ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

マーメイドラプソディー

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たとえばタイのひとたちが映画「海月姫」を観たとき、この作品のコメディとしてのおもしろさを理解してくれることでしょうか。
わたしは、おそらく理解してしまうだろうと思うのです。
それはたとえば「文化」とか「流行り」ともカンケイのない、映像のテンポとセンスから、共感がかもしだされるだろうと察するからです。
かえりみて、「ジャッカレン」にしても最大の問題はソコだったのではないかと思うのですが、だからこそ編集をおススメしているのですね。
わかりにくいギャグ、タイのセンスだから、なんて、これ、カンケイありませんよ。
たとえばルンのパフォーマンスがわかりにくいと言われるのなら、ギャグの毎に彼のアップをインサートする編集をすればいいのです。
たとえばメリハリが弱いと思うのなら、冗長なシーンはガンガン編集してしまえばいいのです。
ここまでなら意味が伝わるから必要だとか、ここを手をかけたがために見せたいので切れない、というのは観る側にはカンケイのないこと。
ましてや国外に出す作品です。本質をシンプルにとらえておかなければ、せっかくのそれぞれの素材が死んでしまうことは必至でしょうに。
観る側がこの娯楽の堪能のなかでもとめる本質は、その実は「テンポ」であり「センス」なのです。
そのむかし、映画が発信するセンスや文化は、なによりも個人の感性やライフスタイルにまで影響を及ぼしたりしたものでした。
映画とは、本来そういう濃厚な魂のソースなのです。
映画「海月姫」は、日本の映画のなかでも大作と呼べる作品でもなければおおくの期待をになった作品というわけでもありません。
しかしこの映画の公開には、映画ファン以外の層の動員もおおくみられ、このまま好ましい結果にいたるのではないかと察しています。
ジージャーは、自分の映画、誰にみてほしいのでしょうね。