ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

そのときにしか出来ないこと

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映画「下妻物語」、大好きです。
で、このお話には映像化されていない続編があります。
結局BABY,THE STARS SHINE BRIGHTのモデルになったイチゴといっしょに、下妻から代官山に通う桃子。
ふたりは高速バスで亜樹美さんとその連れのオトコにあいます。
亜樹美さんは事故で死んだ一角獣の龍二の納骨に行く途中で、桃子がいねむりをしている間に亜樹美さんの連れのオトコが殺されてしまいイチゴが容疑者になってしまう...というお話です。
映画をご覧になった方であれば、こうしてキャラクターが並ぶだけで深田さんや土屋さんをイメージしてしまうのではないでしょうか。
それほど映画「下妻物語」は深田さんと土屋さんのキャラクターを活かしきっていた作品でした。
この映画はヒット作でしたし、本来、続編は容易にすすめられたはずです。
でも実現しませんでした。
現実的には映画の評価が高まった頃に土屋さんの妊娠と出産があり、この点が実際には影響が大きかったのではないかと思うのです。
2006年にはこの作品がフランスで「Kamikaze Girls」として公開され注目が集まったのですが、事実上、土屋さんと深田さんがイチゴと桃子を演じる最後のチャンスがその年だったのではないかと察します。
実際にはこの年に「嫌われ松子の一生」の公開があり、中島監督は土屋さんを使っていますから、携わりとご縁は続いていたわけです。
しかしここで野ばら先生の逮捕です。
なんとなく思うのでが、中島監督はこのことを知っていたのではないでしょうか。
ともあれそれら、土屋さんに絡む事実だけを考え合わせても、18才の桃子とイチゴを深田さんと土屋さんが演じる機会はその時に終わったのだということです。
すべては一期一会、映画「下妻物語」はほんとうに、時間と出会いと時代が交わりあった結晶のような大傑作だと思います。
かえりみてやはりジージャーの「そのときにしか出来ないこと」という問題に思い至ります。
あの映画から5年が過ぎ、ジージャーは母になり、続編の機会は奪われ続け、いろんな条件が、続きを描くことにふさわしくなくなったという現実があります。
もし、その物語りの続編に執着するものがいま、いるとするなら、それはなによりもファンであり、次に作り手である監督、そしてジージャーということになるのではないでしょうか。
しかしこの「ファン」たちは、ちっとも「声をあげようとしない」のです。
あげかたがわからないから、めんどうくさいから、どれも同じ。
結果として、声をあげなかったというだけのこと。
出さない声は届きません。
結果はもうすぐ出てしまうことでしょう。
ああ、なんだ、やっぱりムリだったか、と、受け身でそれを聞くだけの始末。
わたしには、その結果を受け取るだけのあり方というのは悔しくてイヤなことなのですが..