ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

かつて、龍馬、かく語りき

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くよくよ考えるヤツは何が原因であろうとも、たぶん、くよくよしたがるのが常なのでしょう。
仮に何かの問題を解決してあげたとしてもきっと、つぎのくよくよするネタを自然に探すものなんじゃないかと思います。
同じように傲慢で楽観的なヒトは、どんな大切な真実を与えてあげてもダメです。
観念に縛られまくりで、解説無しには何も受け取れず、自力の理解では辿り着けない仕組みになっているようす。
で、ほんとうのことを教えてあげてもずうっと「まさか」と言い続け、解説付きでメディアが取り上げる日、同じことにあらためて感心したりするのです。
そういうのはどれも、変わらないことなのだろうなあと思います。
だったら、大事なのはその両方をよく知りながら、なお頓着せずにしかし超然と関わる気構えを持つことだとは言えないでしょうか。
我が身のことですが、最近は書類の整理や仕事の消化に追いつかなくなって、いよいよ身の回りの片づけも準備も24時間では出来なくなってきました。
忙しさのせいだけでなく、まずはやる気がなくなってしまっていること、そのせいもあって能力が劣り始めていること、それを取り戻そうと思えないことが原因です。
それでも現状の現実を踏まえて生活する自分の中の自分が、それではダメだ、もっとしっかり、と訴えてきます。
そしてなんとかバランスを取り戻そうとする折りごとに、理不尽な会社側の一方通行で愚直な強制指示が大量にやってきます。
はい、会社の言うとおりです、社長の言うとおりです、と、言わされます。
あたりまえです、お給料をもらっているのですから(笑)。
それに会社は成功しているのです、まんざら悪くもないじゃあないですか。
なによりそんなことにいちいちつっかかっていたら、たとえどんなトコに行こうとも上手くなんていくはずがありませんし。
ええ、よーくわかってるのです。
しかし、ダメなのですね。
もうひとりの自分が「やめろ、もう!相手にしていたってキリがない!故もなくポリシーをねじ曲げられてなおイエスと言い続けるいまのお前のなんと愚かで卑怯なことか!?家族や生活を楯にして逃げて、恥ずかしくないのか!?」とわたしにブレーキをかけさせようとします。
まあ、どちらも自分なのです。
ただ、ほんとうにもうイヤになってしまうというのは事実で、これではクルマを運転していても危険だし食事をしていても健康にはならないのです。
だいたい、毎日昼過ぎくらいになると生きることまでイヤになります(笑)。
そんなとき、なぜか龍馬さんの声が聞こえてくるのですね。
「気ぃにしなや、ちんまい、ちんまいぜよ。おまんのええところはよーう知っちゅうきに、おまんはおまんにしか出来んことをやったらええがぜよ」と、笑うのです。
不思議なものです。
だって、龍馬さんはもう、わたしよりずーっと年下なのですからね(笑)。
だから気付くのです。
それは24歳のわたしに、もうちょっと生きてみようと語りかける龍馬さんなのだ、と。
人生は繰り返しなのかもしれませんが、ともあれ、なんとかここまで来ました。
次はわたしが、誰かに龍馬さんのように語りかける番でしょう。
人の世の常がどのようであれ、それが、わたしの役目なのかもしれませんね。