ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

汝が職分を知らしめんがため

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さて、ボロくなっていく自分のことばかりに執着していても仕方ないでしょう。
たとえばいまから10年後なら、おそらくはいまよりももっともっと都合の悪いことになっているでしょうし、いまから10年前だって、別に調子がよかった記憶なんてありませんしね。
健康は大切なこと。でも体力に依存しなくても、ココロのシゴトはたくさん出来るハズ。
先年、入院になったとき、しゃべれなくなったら、という恐怖があったけれど、いまはなんとか助かったのだし。
そしてもっと言えば、たとえしゃべれなくなったとしても、このアタマの中で演奏され続けている情景を伝える方法がすべて遮断されるワケじゃないのだし。
遠い先のことでいえば、自分の役割は明確で、次のアンカーに、いま自分がみて感じているコトを伝えて、さらにその先の先の誰かに向けて「描きかけの地図」を繋いで行くことに違いない。
近々のことでいえば、自分のしなければならないことは、しがらみを断ち切るか、しがらみに絡め捕られて朽ちるかを決める、ということなのだろうと思っています。
そろそろ、「はざかい」です。
世の中で生きていられる残りの時間が、生きてきた時間よりあきらかに少なくなりつつあるいま、あまり余裕はありません。
いえ、ココロには余裕を見いだせることでしょう。
でも現実の時間はそろそろ残り少なくなりました。
なら、成すべきことをはじめなければ。そうでないなら、生まれて来た意味がなくなってしまうしね(笑)。
いえ、実はそうとも言えないなあ、とも最近は思っていたりします。
猫太をみているからでしょう。
生きていることは、実はそれだけで意味のあることなのだなあ、と、最近はずいぶん深く思ったりするのですね。
だからこそ、この身の、このアタマの廻るウチは、出来ることをいっしょうけんめい頑張るべき対象を見出さねばならないとも思うのですね。
もったいないもんね(笑)。
そのためにまず、見極めです。
旅は良い機会でしょう。
ものごとをよく考えるきっかけをもらえます。
先日テレビでビートたけしさんが言っていました。
「お墓参りってのは、その墓参りに行くまでのクルマの中で、ああだこうだといろいろ考えることになるのが大事なんだよなあ」と。
おお、まったくその通りだ。