ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

つきないモチーフ 4

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大昔のタツノコプロのテレビアニメで、「紅三四郎」という作品があります。
わたしですらリアルタイムでの記憶はなく、のちの再放送以降で構築されていった印象でそのイメージが出来ているような感じですし、あんまり若い方とかが興味をもっているともおもえないコンテンツではあります。
ただ、ここにきてDVDBOXが発売されたりネット配信で視聴できる環境に乗せられたり、大手のパチンコやスロットの題材でとりあげられたりと、俄かに浮上してきた感があるのも事実です。
この作品は、あまり再放送そのものの機会を更新しなかった(ハクション大魔王マッハGoGoGoからみれば)ことが功を奏してわたしに興味を喚起させた作品でもありました。
主人公が胴衣を纏うシーンは「変身」のようで印象的だったのですね。
また、イメージをひろげてくれたおおきな手がかりのひとつとして、この作品の主題歌の問題があります。
美樹克彦さん(好きさブラックデビルの、あのひとね)のうたう主題歌にとてもインスパイアされるところがあり、感心するのですね。
整然とした歌詞もすばらしい。
「この手、この腕。それが味方だ、三四郎」って、スゴいですね。
この物語りそのものは、カンタンにいえば、赤いバイクに乗った、ガキと犬をつれた、父の仇を探す若い武道家が、毎回いろんな事件に巻き込まれながら間違った仇と闘って次ぎに向うというお話しです。
先にも述べましたが、残像的な演出をほどこした、三四郎が赤い道衣を纏うシーンや十字に腕を構えるポーズが、まるで仮面ライダーの変身や必殺技のように印象に残るのです。
欧米のヒトたちにとって、マッチョじゃない、東洋のカラテでもない柔道でもない格闘技で敵をなぎ倒す三四郎って、どんなふうに見えたのだろう、と、ずっと思っていました。
ネットが発達したいまになって、やはり海外でも三四郎はクールでアストニッシュなヤツだというファンが多いのだということを知りました。
製作された時期が時期ですので、アニメ作品としてはみるべき特別な画の魅力というのは見当たりませんが、このキャラクターは、とてもわかりやすくて魅力的だったのですね。
こういう作品って、アニメにかぎりませんがわが国にはいっぱい眠っているようにおもいます。
で、わたしなんかは純粋にこの作品を、ひとつの優れたコンテンツとして洗い直してみては、と、思いつくワケなのですね。
たとえばサングラスやバイクや、舞台や時代設定なんて、そんなものは自由に書き換えてしまっても、その骨子たる真髄が活かされることのほうがずっと大切でおおきなことなのです。
性別の違いなんて実に有効なフックであって、楽しくなってしまいます(笑)。
動機や主題というものを自分の側に置き、世界にどのように発信するかということをよく精査して、想像力を膨らませてものごとを刮目してみる。
ただ眺める、知る、興味を持つというだけのことにせよ、そういう感性のもとにおいて触れていかないと人間ってつまらなくなってしまうとおもうのです。
難しいお話しと感じられるかもしれませんね。
でも、大事なことなのです、みなさんもぜひ、よく考えてみてください。
感性を揺らし続けることです。
どうか、想像力を痩せさせないで。
あなたの「お話し」には、想像力は伴ってますか?