ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

残念なこと

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実はこの数日来とても落ち込んでいて、ブログもすすんでいませんでした。
あることがきっかけです。
amazonのレビューで、なりふり構わずにジージャーの名前をあげ続けている方を見かけて、苦しくてとてもがっかりしたことに端を発しています。
その方がジージャーを大好きで、機会をもうけて宣伝をしたいのであろうことはとてもよくわかるのです。
それだけに、とても残念なことです。
脈絡も必然もなく、あたりかまわずジージャーの名前をただ安直に連ねて連呼する。
数にあかせて名前を出すだけでは誤解を生じます。
いえ、すでに誤解は生まれています。
真面目なレビュアーの方々がすでにかなり怒っていますが、これはジージャーのために良いことだと言えるのですか?
5月の初旬にイッキにレビューが起こされているのですが、その方の想いと裏腹に、読み手を大きく傷つける振る舞いに、わたしは胸が痛くなるのです。
大事なものって、どんなふうに扱ったらいいのでしょうね。
多分、わたしの言っていることはその方には理解されないかもしれません。
でも、きっといつかはわかってくれるだろうと信じて、このブログの一章を割きます。
闇雲な宣伝は、無意味です。
いえ、無意味どころか弊害を想像すれば、その実はおそろしいことでもあります。
たとえばテレビ番組の群衆の中継の中で、そうした考えの方やその類の方が突然,番組とはカンケイない繋がりでジージャーの名前を叫び始めたとしましょう。
その方には達成感や爽快感はあるでしょう。
でもファンにはとても迷惑なはなしです。
一般の人には「なんだそのジージャーって? 空気読めない輩が担ぎ上げるマイナーな迷惑なカルトか?」という反応で反発を買うことでしょうし、ファンは恥ずかしいおもいに駆られるだけです。
そしてそういう前提が生まれれば、ジージャーは日本ではより活動しにくくなるだけでしょう。
この例にかぎりません。
必然をどのように想定して、意味のあることにどのように肉付けをしていくか?
それを応援するのがファンだとおもうのです。

ジージャー・ヤーニンさんのことが大好きなのですね、熱心に名前を挙げられているのを見かけて、とてもよく伝わってきます。
でもこれらの乱暴な認知のすすめかたをこころよく思うひとは、評価を読まれる方のなかには残念ですが誰一人としていないと思いますよ。
いえ、むしろ大きくマイナスに、ジージャーの評価を下げ、彼女の大切なチャンスを奪うことに繋がってしまっていますよ。
ジージャーのファンでしたら、まわりのファンのひとたちの気持ちや、ジージャーに恥ずかしい思いをさせるような結果となる行いにもきっと気づいてくれるものと信じています。
よろしくお願いします。