ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

動け

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両親がまだ若くして、そして祖母や叔母が一度に亡くなってしまい、途方にくれている自分に向けて書いた言葉があります。
いまであれば、鬱になってしまうひとたちへのメッセージといえるでしょうか。写真はほかでもありませんが、ジージャーその人です(笑)。わたしの、「動く」ことへのこころの見本こそ、彼女自身なのですね。



うつつをぬかしているあいだは動いていられる。
うつつという字は、「現」と書く。
いまのいま、その中からズレてしまうこと。
それは「虚」なのだろう。
立ち止まって、思い、考え、正しいことを詰めていくと、動くことの意味をなくしてしまう。
虚しさにこころを喰われて、「自分」が途端にしぼんでしまう。
人生の、何かの切り換えを感じる自分がいる。
整理してみたい。
たとえば何かの道をきわめようと歩んで行くことが人生なのだとしたら、その旅はいったい誰に伝えるときに意義をなすものなのだろう。
みんな死んでしまってそれから気がついたことは、この問題だった。
物語がなくなったのだ。
読み手がいなくなって、はじめて、そのことに気づいた。
振り出しにもどる。
それでも、歩いて行こう。
次のページをまた、強引につくるんだ。
間違ったり、躓いたり、書き損じたりしながら。
つぎはぎだらけの夢を続けるんだ。
ご託はいらない。動け。