ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

歯車

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「ジンとあの日本人がまた連絡取り合ってる。どうする?」

ジンの知らないところで運命は胎動をはじめていた。
人の妬みの心。
人の心の闇。
むさぼるように何かを求める心には、沈鬱な獣が息吹はじめるのだ。
業の応報がはじまる。
かつて若さのゆえに蒔いた種が、ジンの運命の歯車を廻しはじめた。
愛の形は、人によりそれぞれである。
ナンバー8にとっての愛は、支配することと束縛することだった。
そしてそれをかつてジンは受け入れていたのだ。
ふたりは互いに確かなものを頼った。
触れて確かめることの出来るもの、現在が満たされるということのなかにすべてがあった。
そして、それでよかったのだ。
けれどもジンは、ゼンを得たことによって人を慈しむという心を知った。
でもナンバー8は、それを得られなかった。
関わり、携わることだけが、いまもなおナンバー8にとっての愛の形なのだ。
自分の愛人を日本人のヤクザに寝取られ、子供まで造られた。
手下への示しもメンツ立たない。
しかし、ナンバー8を突き動かすのは、心の奥底に燻るジンへの愛だった。
ナンバー8が求め続けるもの。
それは、ジンと自分との絆にほかならない。
現実への刻印、自分が生きていることの証、それが支配であり、自分が人を愛していたことの証もまた、支配でなければならない。
心に向かって真摯にあることに罪などはなく、証を得て行くことに対しても、ナンバー8には迷いはなかった。
多くの歳月が過ぎたが、ナンバー8のジンへの愛はかわらなかった。
再会したふたりの間に交わされた言葉は、すべては上の空だった。
ナンバー8にとって真実は、すべて行為の中にしかないからだ。
かつて、ナンバー8は、自身の絆を示すため、己の足をピストルで貫き、ジンに証明した。
言葉とは裏腹に、証は求められた。
ジンの足の指は削ぎ取られた。
喘ぎ、痛みにのたうちまわるジンを尻目に、ナンバー8は、その指すらも愛おしいと持ち帰るのだった。
彼にとっては、それが愛の証であり、絆の証明だったからだ。
歯車が周りはじめた。
ジンの蒔いた種が芥子のような花をつけはじめた。
因果応報という名の花を。