ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ムエタイ

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世界最強の格闘技は何か?と言えば、正直なところ、それはムエタイだと思う。
異論あろうかとは思うところだし、中国拳法に魅力を感じ続けていた自分にとっては、ちょっと悔しい結論なのだけど、認めざるを得ない。
ただ、格闘技の技術体系がどんなに優れていたとしても、それを体現する術者が存在しなければ、最強も何も無意味なこと。
加えて、いくらその体系が最上だとしても、携わる者の取得した段階によって「強さ」は異なるのは当然なのだから、いずれにせよ単純な比較はできない。
もうひとつ言えば、優れた見本が存在しなければ、体系の成就は難しいというのも事実だ。
格闘技に比較的、詳しい。
幼い頃、空手しか知らなかった自分が、ある日を境に急激に「武術(ウーシュウ)」に詳しくなった理由は、ある驚異的な「見本」を目撃したことが原因だった。
その日からはじまり、気がつくと、自分の頭より高く蹴り技を繰り出せたり、武器を使いこなせるようになった自分が存在した。
ある見本が、そうさせたのだ。
ブルース・リーである。
私たちは、奇跡的な彼のそのアクションを、映画の世界で目撃するに至る。
家庭用のVTRがそれほど普及していなかったことも手伝って、イマジネーションはどんとん逞しいものになって行き、想像は現実を追い越して行くことになる。
当時、日曜TVジョッキーというバラエティー番組があり、素人が一芸を披露するというコーナーがあった。
その枠で、一般のある素人がカンフーアクションを披露した。
こうしたことは、何回もあった。
審査員はいつも通り一遍の評価で茶を濁していたものだが、ある日、私は気付いてしまった。
それらは実はもう、ブルース・リーを越えていたのだ。
演技としての側面や、実戦の経験の問題ではなく、技術において、だが。
その次に来たのがジャッキー・チェンだ。
しかし、彼の時代にはもう、家庭用のVTRは普及しきっていた。
ジャッキーをスゴイ、ということで「納得」してしまった多くの連中は、ジャッキー以上の技術巧者には至らなかった。
双節棍を自在に使える者は多く生まれたが、椅子で上手に闘えそうな者をあまり知らない。
想像し、見本に感化され、憧れること。
これらが揃うと、ヒトは進化する。
武術の世界だけでなく、SFやマンガが現実をインストラクタして来たのと同じように、ヒトはイメージすることによって進化するのである。
そして、あとは己自身が見本となるか、否か、だ。
現代において最強のアクションの「見本」は、紛れもなくトニー・ジャーだろう。
信じられないとしか言いようがない。
彼以前に、誰もあれほどの「強さ」を世界に向けて発信した者は、実際には存在していなかった。
そしてその彼が体得した体系がムエタイである。
彼をして、ムエタイは「最強」の見本を世界に向けて示し得たといっても過言ではないだろう。
トニーは引退した。
たくさんの「見本」を遺した。
フィルムの中に刻まれた過去のたくさんの「奇跡」が、多くの人々に送り続けるメッセージは、このうえもなく逞しい。
そしてこの系譜には、うれしいことに後継者が存在している。
しかも、愛すべき繊細さと、多くの可能性を内包する。
ジージャー・ヤーニンという。
彼女が秘めた可能性は、無限大である。
楽しみだ。