ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

拳児

イメージ 1

松田隆智先生のマンガ「拳児」が大好きです。
このお話より先に、わたしは個人的に中国拳法を勉強していたので、そのそれぞれの登場人物の存在にワクワクしていたものです。
わたしが学んでいたのは七星梅花というものでしたが、この武術の勉強の教本(松田隆智先生がお書きになられたものでした)に、蘇老師という方が出てきます。
そう、「拳児」に出てくる蘇 崑崙(そ こんろん)老師ですね。
そして蘇老師に導かれて、物語りの中にはいよいよ劉 雲樵(りゅう うんしょう)老師まで登場します。
劇中では劉老師は劉月侠(りゅう げっきょう)として描かれるのですが、出自も描写もわたしが学んで知っている通りなのが楽しくて仕方ありませんでした(笑)。
我が身の鍛練はちっともはかどりません。
独学の弱さは、手法の「速度」がはかりがたいことでした。
そののち、ポンキッキ刑事物語(笑)や演武のビデオを見ながら「カタチばかり」の中国拳法のマネ事が身についたころ、知識は知識で幕を閉じることとなってしまいます。
幼いころに学んだ空手にしても、いまは何の役にも立ってはいません。
ただ、ひとつだけ、いま、自分のタメになっていること。
それは「武術を見る目」が培われたということです。
発勁」というコトバがあります。
ほんとは中国語にはこのコトバはないのですが、近年のマンガなんかの中では、あたかも絶対の秘密兵器みたいな扱いで描かれています。
でも実際、あるレベルのヒトの行為には、ついぞ「勁」というヤツが見てとれるのです。
ここらへん、うまく説明が出来ないのですが、最近はいろんな文献や論説が参考に出来る時代になりましたから、興味のある方はそれぞれに調べてみてくださいね。
で、ここで言いたいのは、アクションの中でも、それらしく「発勁」を表現できなければ、カンフー映画もウソくさくて成り立たないというコトなのです。
わたし、「拳児」自体は、いずれは映画になるべき素材だと思っていました。
で、その折りには誰か、ジャニーズあたりのそれらしい小僧にでも演じてもらえればいいと、妥協的に考えていたのですが、ここにきて、ちょっと考えが変わったのです。
拳児は別に、オトコの子でなくてもいいのでは?
もっと言うと、日本人でなくてもいいのでは、と。
発勁」が表現できるほどのアクションスターがいれば、それもルックスが少年の拳児のように愛されるものを備えていれば、と。
そうです、ジージャーですね。
「十三妹(シーサンメイ)」のときにも思ったのですが、ジージャーには何か、深い原作モノに携わって、本領を発揮する機会が与えられるべきです。
そういう機会は貴重だと思うのです。
で、「拳児」。
これは、隠れて眠る巨大な、今後のジージャーの「幹」となる素材です。
いいと思うんだけどなあ(笑)。