ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

チョコレート・ファイター2の設定 2

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前作、「チョコレート・ファイター」の国内での展開。
私的には、ここらへん、ちょっと問題があったと感じています。
事前の根の草的な評価での爆発的な人気に比してずいぶん控えめな劇場公開だったこと、あるいは配給の問題(日本での公開まで1年もの時間があった)も微妙に消極的だったことなど、過ぎてしまったこととはいえ、実際にはいろんなネガ要素があったことが窺われます。
いろんな原因が考えられます。
なかなか本当のところを引き出すのは難しい作業です。
ただ、この映画が扱うことの中で、配給側が出来れば抵触したくない問題が見え隠れしていて、穏便に、控えめに、と構えたのではないかと察する点がいくつかあるのです。
ひとつは、ゼンの設定そのものです。
ヤクザや暴力やオカマは、勢い、なんとかクリアー出来ても、障害者がスーパーマン(格闘の天才)という設定は、国内ではどうにもマズイ表現なのです。
次ぎに、トーマスの存在。
ある評価で、障害者と障害者が闘う阿鼻叫喚の地獄絵図(なんともまあ、あきれた言い方ですが)と、信じられないような表現を見たことがあります。
でも、配給側は、あちゃー、マズイは、コレ、と、間違いなく思ったことでしょう。
実際、物語りの流れをキチンと追えば、そうしたものではない、ということは理解できるのですが、たとえばキャッチ・コピーのチカラとかを考えあわせるとき、そこだけが興行的にデフォルメされて伝わる恐れは十分にあるわけです。
一例を挙げます。
映画「マーキュリー・ライジング」のキャッチ・コピーについてです。
自閉症の少年が国防に関わる暗号を解いてしまい、追われることとなるというストーリーです。
広告コピーには「心に傷を負った男・心を閉ざした少年」となっていましたが、この点が問題になり、自閉症協会から抗議が届くのです。
ブルース・ウィリスと、主人公の少年を表現したキャッチ・コピーなのですが、このなかの「心を閉ざした」という部分が問題になったのですね。
自閉症という障害に対して、誤解を招く表現だということで。
これに対する松竹の側の対応は、以下のようなものでした。



プログラムの中のサイモン少年に関する文章表現 については、読者の方々から同様のご指摘を頂戴しており、当プログラム編集部の自閉症に対する認識の至らなさから関係者各位に多大な迷惑をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。

 プログラムの内容は基本的に「解説」「物語」「依頼原稿」「製作メモ」「その他の特集記事」から成り立っておりますが、特に「解説」「物語」「製作メモ」は劇場宣伝・営業促進用に作成された、関係者だけに配布される内部資料を元にして構成されております。これは映画のプログラムの編集がまだ映画のフィルムが日本に輸入されていない時点で開始されるためで、映画の内容を知る唯一の材料がそのような内部資料といった状況で原稿が作成されていきます。その資料には「自閉症」という表現は一切使用されておらず、当プログラムの担当者は、あくまで過去の事件によって心に心的外傷を負い、「心を閉ざした」少年であるという捉え方をしておりました(恐らく元の資料を作成した方もそのような認識ではなかったかと推測されます)。結果として「自閉症」という障害名が全く表記されていないプログラムが出来上がってしまったというのが事の顛末であります。


 その後担当者は字幕付きのフィルムを試写し、少年サイモンが「自閉症児」であることはその字幕から理解しており、版下を適切な表現に修正することも時間的には不可能ではなかった訳ですが、そもそも当編集スタッフは「自閉症」に対する知識が甚だ心もとなく、敢えて修正する必要を感じないまま印刷に回ってしまった訳でございます。


 きちんとした調査もせず、「自閉症」に対し真摯に取り組んでいらっしゃる方々に配慮に欠けた表現を印刷物に掲載してしまったことは、文章に携わり、それを生業としている人間としてあまりにも基本を疎かにしていることであり、皆様からご叱責を受けましても全く弁解の余地がありません。担当者をはじめ編集スタッフ一同深く反省しておりますとともに、今後このようなことがないよう一生研鑚を積み注意を怠らぬように努力して参ります所存ですので、何とぞよろしくご容赦のほどをお願い申し上げます。


いかがでしょう?
過敏な反応といえばそれまでですが、自閉症者側の家族からみれば、たしかに大変な問題ではあります。
ただ、うんざりします。
そればかりは事実です。
こうした些細な問題でさえこれです、ましてや、自閉症が「闘う」となると、もう、映画がどんなに優れていても腫れ物扱いになるのは目に見えているわけです。
世界的には、自閉症という障害については日本の何倍も理解がすすんでいます。
なので、自閉症者がサヴァンの一環としてテレビで武術を覚えてしまうという設定は、痛快ですし応援視点を得られますし、親睦的に扱われることとなるのです。
日本では違います。
日本の日常の生活の中においては、自閉症者というモノはフィクションの存在なのですね。
まるで、見てはいけない存在、居ては不都合なものという扱いなのです。
いずれにせよ、これが現実です。
そこに来て、「チョコレート・ファイター2」、日本での撮影です。
私たちの個人的な期待と楽しみと応援をよそに、そういう問題が水面下に潜んでいるのだということも、覚えておかなければなりません。
そのうえで、敢えて、重度の自閉症者の親としてひとこと。
がんばれジージャー!
負けるな!ピンゲーオ監督!
しがらみなんか吹っ飛ばして、ぜひ、いい作品を完成させてくださいね!
応援してます、はい。