ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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珈琲時光 3

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映画「チョコレート・ファイター」のインタビューの中で阿部寛さんが、アジアの映画の撮影手法の問題を語っています。
現場に「シナリオ」がない、という点についてです。
日本では、シナリオの存在が映画の骨子を担う役割を果たしているのが当然のこととなっていますが、香港や台湾やタイの映画には、コレが存在しません。
つまり、シナリオ重視という流れが、というか厳密な「シナリオ」というもの自体がないのです。
アジアの映画の現場では、おおまかなスクリプトに沿った臨機応変な物語の組み立てという手法で、仕上がりを想像させないまま撮影が成されていきます。
これを是か非か、と、括るのは難しいことでしょう。
実際この手法で撮影されたそれぞれのアジアの映画作品の多くのものが、確かに魅力的に出来上がってはいるのです。
いわゆる「インプロビゼーション(自由即興)」の手法です。
ただ正直なところ、日本の土壌においては、これは無理があるやり方だなあ、とも感じました。
ホウ・シャオシェン監督は、「珈琲時光」でもこの手法を採用し、日本での撮影を敢行しています。
出来上がって来た単品作品としての「珈琲時光」は、とても魅力的な映画となりました。
しかし、もし仮に同一の手法で「日本を舞台とした」近似する作品が造られたとするなら、おそらくは多くの日本の映画ファンは大いにがっかりすることでしょう。
パターンが読めてしまうからです。
オリジナルとして認めるところ、この「珈琲時光」という作品での「インプロビゼーション」手法は許せます。
ただ、その亜流にはどうにもうんざり させられてしまうこととなる見込み大なのです。
そういう意味で、この問題は難しいと感じました。
この作品では30分近くもの削られた一塊のエピソードが存在しています。
DVD特典で見ることが出来るのですが、そのポリューム感にはちょっとびっくりしてしまいます。
陽子一行が夕張を尋ねる(!)というパートが、すべて削られてしまっているのですが、なんとももったいない(笑)。
で、その撮影風景についても公開されているのですが、そこらへんを拝見するにつけても、ああ、日本ではムリがあるなあ、と感じてしまった次第なのです。
夕張という選択もまた、おもしろい。
なのにそれを全体の出来のために大きく削ってしまうという判断。
柔らかな描写の映画の中に、大胆な演出と構成を感じました。