ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ひとつの、ボーダー。

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ピーター・ドラッカーのマネージメトの考え方のなかに、「すでに起こった未来」というコトバがあります。
明日、目にするキセキは、ほんとうはそれよりずっと前にまかれたタネの発露なのです。
ヒトの目にうつる偶然は、ほんとうのところは必然です。
その道を行く、という意志のチカラは、結果としては「偶然」にみえるような難易度の高い到達点への着地を可能にさせうるのですが、ただひとつ、そもそもそれを望まない、イメージしないもののもとにだけは、訪れることはないのです。
それがおとずれたとき、さも偶然のチャンスがめくりきたかのようにふるまうことも、驚きとよろこびをもってむかえいれることも、それはそれぞれの器量の問題。
そしてその「器量」そのものですら、それを身につけようと切磋琢磨し、痛みにも悲しみにも耐え、超えてきたものにしかそなわらないことでしょう。
再三、このブログでは、ジージャーの人格の陶冶が、勇気とやさしさに裏付けられ、真摯に前をみていく生き方をえらんでいること、そのことを反芻し、それが大切な資質なのだと語ってきました。
これはおためごかし、気に入っているタレントへのリップサービスでもなんでもない、そうした資質からしか、人生の冒険ははじまらないのだ、ということの理固めです。
おおよそ、想像しえたほとんどのエレメントがこれで出揃ったこと、そしてそれが「現役のアクション女優」の時期にある彼女のもとに並び訪れたという事実がここにあります。
足りないのは、その、リンクのためのノード、つまりは繋がりの手、それにつきます。
どこかで大きな雷鳴が響くこと、わたしはまだ、期待しているのですけれど...