ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

主演女優

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3月です、ジージャーの誕生月ですね。
ジージャーは1984年生れですから、今年の誕生日を迎えると32歳、あっというまに歳月は流れているわけです。
アクションを中心に活動する、ヒロインの位置を期待する女優として考えるなら、この30代前半という時間をどう装飾するか、つまりはどのように自らを世界に対して魅せようと演出するか、で、今後の映画女優活動のほとんどは決まってしまうのではないかとおもいます。
まずは、いま、華がなくて、いつヒロインになるのか、ということ。
ジージャーの活動、どう評価したらよいのでしょう。
厳しい言い方ですが、このままでは竜頭蛇尾、そしてそのようになってしまうであろう根拠は、現在のジージャーの活躍の「華」の無さ、これが要因です。
さらにいえば、その「原因」がタイの映画界側、ひいてはジージャーの真価を見極めないで、徒に適当な順番待ちをさせてしまう環境にあるのだと察します。
ジージャーは、これからの「いつ」、映画の主役になるのですか?
何を待たされているのでしょう?
主演だけが女優の仕事ではない、ということですか?
いや、仮に積み上げるべき何かを待っているのだとしても、それ、間に合うのでしょうか。
わたしは、タイにいるかぎりそれはかなり難しくなってきているようにも感じてしまうのですが、反面で杞憂であってほしいとも甘く願っていたりもします。
タイ映画の批判をしているのではありません、今日までの現実の話し、ひいてはそこから容易に想像の及ぶ結果のはなしをしているのです。
たとえばジージャーよりもっと高齢の時期にあってなおヒロインを演じていたキャメロン・ディアスをひきあいに出して考えてみましょう。
キャメロン・ディアスには、チョコレート・ファイタージージャーと同じくらいの年齢のときに、「メリーに首ったけ」という作品があり、これが大ヒットとなります。
そしてこのあと「チャーリーズ・エンジェル」で、その明るく快活なキャラクターがスタンダードとなり、そこを軸に、深くも暗くも軽くも激しくも、そのさまざまを演じていく「ヒロイン」となっていくのです。
たしかに、才能があったし、チャンスにもめぐまれたのかもしれません。
しかしその見方を認めてなお、注意深くなければいけないのは、つまり、チャンスの近くにいたこと、才能が見出されるべき機会を見逃さなかったこと、という、本人をプロデュースする力学が働いていたであろう事実についてなのです。
結局、キャメロン・ディアスは「その道」を来た、その傍にいるこを怠らなかった、ということなのです。
ジージャーは、この点において、ほぼ欠落をみせるのですね。
先日、実写版「攻殻機動隊」の主演がスカーレット・ヨハンソンにきまり、ビートたけしさんにも出演オファーが来ているとのニュースが流れました。
スカーレット・ヨハンソンジージャーと同じ年齢ですが、アクション女優としての才能は、どうみてもジージャーと同等とはいえないでしょう。
はたからみると、ヨハンソンはチャンスにめぐまれている、ということになるのでしょうか。
そうかもしれません。
でも、間違ってはいけないのは、日本という国が提示するすぐれたコンテンツの積極的な採用の位置にもっとも近く、かつ、アニメのヒロインのような若々しさと体躯にめぐまれ、たぐいまれなアクションの実績をもっている、という、究極のチャンス(機会)にもっともめぐまれている女優は、ほかでもありません、われらがジージャー・ヤーニンそのひとです。
では、なぜ、そのような「結果」になっていかないで、いまに至っているのか。
もうそろそろ、わからなくては..