ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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燃えよ!カンフー

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1972年、ワーナー・ブラザーズは「Kung Fu」というテレビドラマを制作した。
満を持しての企画だった。
このドラマは好評を得て、長くシリーズ化され、続編や映画化などの展開にも及んでいる。
邦題は、燃えよ!カンフー。
物語りは、白人の父と中国人の母を持つ少年を主人公に据えてはじまる。
少林寺で仏教を学ぶとともに武術を習得し、修行の末に少年は少林寺の僧となるが、ある日、理不尽な暴力(目の前で師匠を射殺される)をふるった皇帝の甥に、思わず近くにあった槍を投げつけ殺害してしまったことで追われる身となる。
葛藤を抱きながら、ひとびとの助けによりアメリカに逃げる少年だが、さまざまな事件に巻き込まれながら、仏教の教えと武術で道を拓いていくこととなる。
というのが物語りの大筋。
主演は、デヴィット・キャラダイン。
ダンサーだ。
ちなみにキャラダインが中国武術に関心をもち、習得に勤しみそのプロフィールに載せるに至るのは、実に、ドラマの人気のあとのはなしである。
燃えよ!カンフー。この作品の原案は、ブルース・リー
主演の予定もまた、ブルース・リーだった。
トンビに油揚。自分の熱意と期待でできあがったその作品は、あっさりと「彼もまた足が高くあがる」という理由で、白人のキャラダインのものとなってしまう。
リーの胸中は容易に想像できる。
グリーン・ホーネットでどれだけ人気を得ても、結局は脇役であり「東洋人への差別」を払拭できないと知ってた彼にとって、この作品の企画への熱と期待はどれほどおおきなものだったかを察するなら、こんな仕打ちはあってはいけないことだろう。
思えば、彼の生涯はまさしく「差別とのたたかい」そのものだったようにもおもう。
リーの行為は、常に彼の意志そのものだ。
こののち、ハリウッドからの端役の誘いや「適当なオファー」に、リーはもはや意味を見出さなかった。
いいかげんな誘いにはのらない、それに尽きた。
彼は突き進む。
そしてその「抗い」こそが、彼の人生の「意義」を見出す推進力となって行く。
彼がふたたび「ハリウッド」の名を冠することを受け入れるのは、実に、「燃えよ!ドラゴン」という作品が登場するときまで訪れない。
そして彼はまた、その成功と名声を確かめることなく、この世を去っていくのだ。
映画「燃えよ!ドラゴン」は、もともとのタイトルを「BLOOD AND STEEL」と決まっていたものを、リーが強引に変えたのだ。
矜持である。
なぜならそれは、「彼の映画」だったのだから。

あなたの「映画」。
自分の「映画」。
それは、役者にとってのすべてだ。
なら、なにかを得ようとする役者は、適当など、選んではいけないだろう。