ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

砂漠のサボテン

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このごろのジージャーのビジュアルで多く見かけるのは、髪をひっつめてトレーニングしている姿ばかり。
これ、あたらしくジージャーを知ることになるひとたちには、一体、どんなふうな感想を植えつけることになるのだろうか、と、考えてしまいます。
最近はタイのテレビ番組にも出ていて、そこでは役者として拳銃とかもって活躍している姿が伝えられて来ます。
レーニングに精進しているジージャーも、テレビであたらしい活躍をはじめているジージャーも、残念ながらわたしたちの国にはちっとも繋がってこないのです。
もちろんそれは、わが国だけのことではありません。
映画の話もきこえてきます。
でも、それ、ではないでしょう。
ジージャーにふさわしいのは、もどかしい曇った曖昧な立ち位置の作品ではないはずです。
輝くような、主役を演じる作品こそ、彼女にふさわしい。
そして活躍の舞台。
タイを否定はしません。
でも、そこ、では、足りないのに、と、わたしは、いまのジージャーの活躍を、とてももどかしく思っています。
積み上げれば積み上げるほど、とりかえしのつかなくなる努力があります。
すべてのひとの人生には、おおきな流れを示した、生きることの意義を見出すためのスケジュール表というのがあります。
どこか、わたしの知らないところで、ジージャーにおおきなチャンスが待っているのかもしれませんが、それを掴むにしても、そこ、では、どうにもならないことでしょう。
この1年という時間が、おおくのことを蓄え、よく考え、夢をたくましくするための時間であったのだと信じます。
あとは、飛躍です。
ジージャーにふさわしいのは、貫き、驚異を感じさせるような、輝かしい作品への関与です。
地味なことを積み上げすぎてはいけない。
砂漠のサボテンは、花を咲かせなければ゜ヒトの目をひくことはないのです。
いま、咲かせなければ、また、誰も見てくれない、そんな「時間とのかみ合わせ」の怖さを、ジージャー、もっともっとリアルに感じるべきでしょう。
焦燥が大事なのではないのです。
時を知ること。
早く幸運の神様の前髪をつかまなければ、すべてはあとのまつりです。