ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

育む

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大事なものを手にいれようとするときには、その「手に入れよう」とする思いにたくさんのイマジネーションを添えてあげることが大事です。
たとえば「いのち」は、受胎のときにではなく、出産してから2、3日のあいだで「魂」を招き入れるのだそうですが、まずは「器」ありきで、愛そう大事にしようという夢や想いで導いてあげなければ、良い子が生まれてくるはずもありません。
同様に、仕事を決めようと考えてるひとや、結婚の願望をもつひとや、おおきな買い物をしようとしているひとは、どうかこのことをよく考えてみてほしいのです。
持ち物も、居る場所の意義も、その実すべては「あなたの映し」なのですから。
もの選びにこころを置かないひともおおいのです。
身の回りをみると、気づきも薄くこんなふうに「しあわせにならない道のり」を自分で平気で用意しておきながら、その結果や経過に、こんなものだろう、とか、何の「特別」も期待しないまま、つまらなく感じる準備をしているひとが多すぎます。
かなしいことだと思います。
もうすこし、モノやコトを大事に受け止めてあげられないものでしょうか。
それらはすべて、自分自身の「かがみ」なのですから。
資本主義の世の中は、競争でせいいっぱいで、誰も豊かにはしない仕組みになっています。
曾孫にまで渡せないような家一軒を買うのに一生かかったり、好きだったはずのクルマが消耗と税金でみるみる痩せて行ったり。
お金を大事と拝んでも、それは結局、複式簿記の仕組みに降参したという儀式にすぎないのです。
残念ながら、どれだけ棺桶が豪華で立派なお葬式を出せようとも、そのために生きていくのが素晴らしいことだと思うのならそれはもう、いま、生きてたってしょうがないということの裏返しでもあるワケです。
そんなトコに、生きることの意味なんてありません。
自分のなかに潜んでいる世界との「繋がり」に気づいて、それをいろんな次元の表現に結びつけていくこと。
そこにしか「共感」というものは生まれません。
そしてその「共感」こそ、ヒトがヒトとして生きていくことのほんとうの意義なのです。
忙しいのはわかるのですけど、もう少し、「縁」というものをよく眺めてみてほしいなあと思うのですね。
情熱を以て長くしっかりとメッセージを訴え、考え、愛し、夢を添えたものは、ほんとうに遠くまで歩んでいったり出来るものなのですから。