ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

10周年ツアー HOTELアカシア 1

イメージ 1

10月26日、わたしは早朝からセントレア空港へ向っていました。
前の日の仕事が終わったのは明けの1時くらいで、それから旅行の準備をはじめて、夜が明けるころに出かけたのです。
早く着いたはずなのにもう手荷物検査がたいへんな列になっていて、休む間もなく飛行機に乗り込むこととなりました。
飛行機のなかではちょっとは寝ることができると期待していたのですが、結局はフラフラしたまま函館へ到着です。
眠くてしょうがなかったのですが、到着した函館は、びっくりするような快晴でした。
レンタカーを借りて走り出し、海岸沿いでクルマを止めます。
ここちよい風が吹いてきます。
ほんとうに、驚くほどのおだやかな「晴れ」の中にいました。
称名寺というお寺にむかい、母の霊堂へ。
心配しないでね、がんばってるよ、と、いつになく、ながく母とはなしをしました。
朝一番で函館に到着したので、1日の行動に余裕があります。
パスタリアというスパゲッティのお店をおとずれて、早めの昼食をとりました。
おいしいパスタをいただきます。
この時間が少しでも長くつづいてくれたらなあ、と、こころからおもったりしました。
11時24分。
ここからの24時間を「ソーラーリターン」といって、わたしのこの1年のインディックスをなぞる時間になります。
眠たさと、青空のなかで、わたしの「次ぎ」がはじまりました。
この日、渋谷公会堂では一青窈さんの10周年ツアー、HOTELアカシアの東京公演が開催されました。
武部先生のピアノの伴奏で、窈さんがうたう、10周年にふさわしいプレミアム・ライブです。
この日は、わたしにとっても「区切り」を望んだ日でした。
仕事に追われ重く悩む日々が続こうとも、それをすべて洗濯してしまおうと、ムリヤリにもうけたインターバルでした。
いろんなことを感じ、理解し、想像するに及んだ4日間でした。
このブログには、ジージャーといっしょになぜか一青窈さんがとりあげられています。
この二人に共通しているのは、親がすでに亡くなっているということです。
一青窈さんにいたっては、ご両親ともすでに亡くなっています。
彼女の紡ぐ世界は、想像の彼方の遠いはなしではありません。
こころのなかの喪失感や、痛みをうたう、真摯なおもいが、彼女から発信されます。
人格や興味や関心でひとを語り、好悪で括ることも、誰かをとりあげる理由にはなるのですが、一青窈という女性が訴えるこころの音は、好悪をこえた特別な何かだとわたしは直感的に感じました。
ジージャーにしてもそうでした。
何かが真摯に切なく映り、それを大切なことだと直感して受け入れ、いまに至ります。
理屈ではなく、感じることで生まれる何かがあると信じています。
10月26日は、そんなふうに、自分のための時間を直感的に感じてもうけた時間のはじまりでした。
このブログも、あと30数回を残すばかりです。
あっというまに終了の日はきます。
それまでに、なにかまだ、みなさんにわたしの思いをお伝えできればと、いろんな書き方を考えたりしています。
チョコレート・ファイターは、わたしにとって、自閉症を演じるジージャーと、そのジージャーの真摯な取り組みから生まれた驚異的なアクションと、それらを昇華させ生み出したピンゲーオ監督たちの総合的なメッセージとしてわたしに届いたものです。
ジージャーの魅力にひかれつづけるのは、単に彼女が明るく人気があるからではありません。
彼女のなかに備わる真摯さと優しさを感じるからです。
そしてそれを支えるひとたちの熱意に共感を感じているのです。
一青窈さんもまた、武部先生や小林さん抜きでは語れないともおもいます。
彼女のうたは、大事なんだな、と、伝わってくるのです。