ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

ジージャーへの贈り物 1

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ジージャーを応援したいということで続けているブログですが、はたして応援になっているのかどうか怪しいところです(笑)。
まあそこらへんは承知でお話しをすすめてしまうのですが、原則は「ジージャーの応援」という立ち位置にあるワケですから、具体的に何が出来るかを詰めていく必要もあるのかもしれません。
別に焦ってどうのこうのというものでもありませんが、こうしてネットからコトバを発信しながら万が一にもジージャーの応援に繋がることがあるとするなら、それはやっぱり「情報」ということなのではないかなあと思いいたるワケです。
ジージャー、ひいてはピンゲーオ監督にわたしたちが伝えられること。
それはもちろん、日本の文化の情報でしょう。
日本人の一般像として、ジージャーがどのように受け取られているか、あるいはジージャー演じる諸作品に対する真摯な感想とはどんなものなのか、そういうことにはピンゲーオ監督にせよ、リサーチとして興味はあるはずです。
でもここらへん、ファンとそうでないひとではあまりに熱が違いすぎて、参考に至るほどの傾向を得ることは出来ないことでしょう。
応援の声は応援として、大いも少ないも関係ありません。
なにより、一部の「声」というのは、本来はよっぽどしっかりとした組み立てのもとに顕されないかぎりは、その実まったく意味のないもの、むしろ毒になってしまう場合もあるのです。
よくテレビで「番組が独自に1000人の方をリサーチし統計をとったところ○○%のひとが」という表現がつかわれますよね。
あれ、まったく間違ってるんです。
統計というのは、そんな少ない母集団ではランダムサンプリング(無作為抽出のための標本)になりませんから、導き出される回答も偏っているといわざるをえないのです。
そのことを踏まえると、わたしたちファンが届けられるのは、数の論理に頼った情報の類のことではないのだろうなあということが朧げにわかってはきますね。
それでは、何でしょうか?
わたしたちがジージャーに贈ることの出来る、わたしたちにしか出来ない情報とはいったいどういうものなのでしょうか?