ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

チョコレートソルジャーのこと 2

イメージ 1

このDVDに触れてあらためて思い出すのは、ちょうど「レイジング・フェニックス」を撮影していた頃のジージャーのことです。
時期的には「チョコレート・ファイター」のプロモーションのために世界中を駆け回っている最中でした。
ジージャーはプロモーションの一環として「ゼンを演じるため」にウィッグをつけて、日本や台湾を訪れて、演武披露を惜しみなく展開していたワケです。
そのころはけっこう違和感を感じたものです。
ひと目みても、チョコレート・ファイターのあの女の子よりずいぶん細く、髪も染めていて、まあ好ましいこととしては、よく笑い、よくしゃべる子だということが判った、ということでした。
いま、ジージャーの立ち位置や容姿は、比較的「チョコレート・ファイター」のころに近くなっています。
あれほど痩せすぎでもなく、髪形も溌剌とした様子も、どちらかといえば昔に近くなっている気がしています。
ただそう考えるとき、逆に「チョコレートソルジャー」の中のデューは、つまり「つくられたジージャー」は、もう二度と会うことの出来ない存在なんだなあ、という点に感慨深さを持つのですね。
この映画、たぶんなみさんも「ここをこうしたらいいのに」とか「ここをもっと、こんなふうに」とおもってしまうトコロがたくさん感じられる作品だと思うのです。
つまり、ストーリーの骨組みが未熟だということです。
皮肉なものです。
チョコレート・ファイター」が公開されたときのピンゲーオ監督への評には、多く「ストーリーが弱い」という傾向が払拭しきれていない、というものが見受けられました。
中には「なんでチョコートなの?」というものまで見受けられました。
なのに「レイジング・フェニックス」を見たひとたちの意見のほとんどは、「前作よりもストーリーが弱い」です(笑)。
そうだとおもいます。
ただこの事実は、それだけに「これからのチョコレート・ファイター」という作品の深さや位置付けを強調してくれるものにもなって行くのです。
映画「チョコレートソルジャー」は、驚異的なほどに優れたアクションを堪能させてくれる、未明の海外の傑作として評価できるでしょう。
ただ問題は、このエッセイを読んでくださっているほとんどの方たちにとって、その優れている作品の前に「チョコレート・ファイター」が存在してしまっているという点なのです。
いいえ、それはマイナスにはなりません。
たしかに「チョコレートソルジャー」の物語の詰めは甘いです。
でもそのおかげで「チョコレート・ファイター」に「ストーリーが無い」という過去の評価も消えてしまうことにもなって行くのです。
このことはジージャーのこれからの作品公開にはプラスでしょうね(笑)。