ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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キャプテン・フューチャーの夢 2

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キャプテン・フューチャーの原作者、スターデストロイヤーこと故エドモンド・ハミルトンは、実に孤独で不思議な主人公たちを描きたがります。
スターウルフにしてもそう。
あ、スターウルフといえば、NHKのキャプテン・フューチャーとほぼ同じ時期に実写で放映されていました。
こちらはロケット工学のあの糸川教授の監修つきという鳴り物入りではじまったのですが、まあ見事な竜頭蛇尾に終わっています。
でも、こちらもまたわたしは大好きなのですが(笑)。
ともあれ、エドモンド・ハミルトン
幼くして「飛び級」で大学に進学していたと、昔、読んだ記憶があります。
友達はいなかったそうです。
事実を細かく掘り下げ知る方法は、いまとなっては曖昧でしょう。
過ぎたことはどれも、それを語る者の「物語」だからです。
神童というひともあれば、変人だと言うひともいるであろうことは容易に想像がつきます。
ただ、彼の作品のそれぞれから、幼いころのそのこころの片鱗を感じることはわたしにも出来るのです。
カーティスにしてもケインにしても、ハミルトンの造り出す主人公たちはとても「孤独」なのですね。
わたしはそこに、不思議な共感を感じてしまうのです。
そしてあらゆる作品を読み終え残るのは、アタマの中に生まれてくるその荒唐無稽な未来の姿以上に、登場人物たちの心情の問題なのです。
大雑把なはずの読み物のなかに織り込まれた、挫けない少年の夢がそこにかいまみえるのですね。
胸が痛くさえなります。
細かくは、みなさんにもぜひ機会をもって読んでもらいたいと思うので、ここでは特に述べません。
ただ、それぞれの登場人物たちの深いこころの葛藤と、偏った「存在の証明を求める姿」に、作者の心の闇を感じるのです。
スペース・オペラと呼ばれる、一見陽気なカテゴリーにおさまる、その代表のような作品「キャプテン・フューチャー」。
反面で、深く読まないと見落としてしまう、たいへんな重みを抱えた作品でもあると感じていた幼少期のわたしでした。