ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

原子力

大災害の渦中です。
被災地の方々、亡くなられた方々には心よりお見舞いとお悔やみを申し上げます。
どうにも、胸が痛みます。
まずは支援を考えないといけませんが、同時に、考えなければいけないいくつもの課題が浮き彫りになった感があります。
東海地区は今回の地震の被害からは免れているものの、時間の問題でもありますね。
どう備えたらいいものやら、マグニチュード9の余波による津波の様を目の当たりにして、言葉もありません。
神戸の例をみても容易に想像できるように、いまからもまた大変です。
しかし、これからの東北の復興と、東海大地震はどれくらいのタイミングで掛け合うのでしょうね。
大きな問題です。
そして案の定ですが、原発の問題が生じています。
放射能はもう、すでに漏れています。
わたしの生きているうちにこの影響が消えることはありません。
暗澹たる思いに暮れるのです。
わたしはこの問題に対してばかりは、置き所のない憤りを禁じ得ません。
25年前、私たちは、チェルノブイリという世界的な大事故を知りながら、なお、誰かの利権のために、なんの必然もなかった原子力発電所設置を止むなしとしてしまったのです。
大きな別れ道でした。
あの日、私たちは声を大にして原発反対を訴えました。
こうなることは、自明の理だったからです。
そして放射能の影響について、人々があまりにも無知であることにも恐怖を覚えたものです。
あの頃、事実、電力はあまっていたのです。
にもかかわらず、キャンペーンを疑うひとたちはいませんでした。
なぜか?
それはマスメディアによってわたしたちの「感性」が支配されていたからです。
新聞が、政府が、NHKが、著名人が肯定すれば、わたしたちは「安心」し、そして安心のためになら自らの正常な判断は放棄していいという「暗黙の了解」を承知してしまっているからです。
あなたも、わたしも例外ではありません、みながそうでした。
放射能は種の絶滅を促す毒です。
あらゆる未知の影響を実践する毒でした。
生まれ続ければ、地球の歴史をもってしても半減しない核処理廃棄物の行方も、被爆により生じる白血病をはじめとしたガンの問題も、遺伝子にまで及ぶ影響も。
カネのためだけに、一握りの人間の金儲けのためだけに、何重にも包み紙を巻き付けられて届けられた、絶滅への招待状、それが原子力発電所の存在の正体です。
寄るひと毎に、この問題を訴え続けていた私は、まるで気違いのように見えたことでしょう。
でも、必要だったのです。
ヒト、そしてヒトを造る食べ物も水も、そして食べ物を育む大地も海も蝕み、自然に消え去るどころか消し去る方法が存在しない驚異、それが原発の生み出すものの正体です。
それはいまもなお、何も変わりはないのです。
地震大国であるわが国は、そもそも原子力発電所を持つべきだったかどうか、そんなことはいまさら言うまでもないことでしょう。
正常な判断が誰かの欲望のためにねじ曲がり、それが見栄えの良いパッケージにくるまったことに安心させられて今日まで来たとしても、中身は何も変わることはなかったのです。
地震の被害は甚大ですが、ここから問題なのはやはり原子力発電所の状況でしょう。
わたしたちが案じても、もう、しょうがないことなのかもしれませんが。
かつて、「危険な話」という本がありました。
どれだけの方が、この本のお話を覚えているでしょうね。
いまから起こることはすべて、あの本に書かれていたことでしょう。
でもそれは預言ではないのです。
大きな災害のあとには、預言を持ち出して滅亡論が煽られ、オカルトが流行ることでしょう。
こんなこと、毎度のことです。
みなさんはもう、どうかこういったことに心を惑わされないようにしてくださいね。
真実はすべてあなたの心の中にこそあるのだと思うからです。
そしてその「真実」は、よく見て聞いて感じて、そして確かめてなお、疑っても揺らぐことのないものであるはずです。
どうか、小手先の脆弱な揺れに心を奪われないように、長く静かな目で現実と真実の見極めに腐心してください。
なぜなら、いたずらに騒ぐべき時期は、もう終わったとも言えるからです。
ここからは、自分の心こそが大事です。
そして現実の人々の痛みに目と、手を向けてください。
手を。