ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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エヴァンゲリヲン新劇場版 破 1

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映画「エヴァンゲリヲン新劇場版 破」のエンドロールには、「謎の円盤UFO東北新社」のクレジットが掲げられています。
庵野監督は多くのインスパイアを、謎の円盤UFOから受けられたと語っていて、エヴァンゲリヲンの作中の随所にも、そのエッセンスが上手に反映されています。
ちなみに、映画「チョコレート・ファイター」の配給も東北新社ですね。不思議な繋がりですが(笑)。
「繋がり」と言えば、エヴァのルーツについて。
わたしはどうしても、永井豪先生の往年の作品群の影響を無視できないと感じているのです。
永井豪先生の渾身の傑作「デビルマン」を、ひとつの「種」だったと考える。
ヒトのこころに託された種だった、と。
そうすると、もっとも見事に開花したコンテンツはなんだろう?
私的にはエヴァあたりではないかなあと感じてるところです。
エヴァンゲリオン
このタイトルそのものも、含蓄が深く気が抜けません。
エバンゲリオンとは、そのままであれば「福音」という意味。
神による支配を知らせるという意味。
でも、劇中の呼び方「エヴァ」を意識してエヴァンゲリオンと綴れば、イブの天使のような、という意味にもなります。
聖書の世界ではイブ(エヴァ)は、アダムの肋骨から生じるクローンの人間。
ひとつのジェンダーの極端、つまり母性として、そして性としての女性そのものを指す存在。
エヴァンゲリオン」の物語を繙(ひもと)けば、この作品は大きくふたつの普遍的真理を模索する側面をもっていることに気づくことでしょう。
そのひとつは、女性という存在そのものについての洞察。
もうひとつは「成長」ということ。
そもそも人造人間エヴァンゲリオン自体、「母親」たちの、いわば、クローン。
使徒のそれぞれは、創造と懐妊の象徴。
いずれも女性の物語。
登場人物も、レイ、ミサト、アスカ、リツコ、シンジの母、そしてマギ・システムまでをも含めて、これほど女性を重要なポイントに配した作品も例をみません。
こうしたモチーフを絡めながら、シンジくんを通して描かれる庵野監督の世界は、詰まるところ、終末の世界の渚に残された二人、という「絵」にたどりつきます。
これはもういうまでもなく、最終戦争(アーマゲドン)の果てのサタン(両性具有の彼はそもそも、アスカという名前でしたね)と明ですね。
サタンは語ります。
自分がしようとしたことは、結局、自分が憤り抗った親たち(神)のしたことと同じだった、と。
ちなみにエヴァのラストの「気持ち悪い」というセリフは、宮村優子さんの感想からのコトバたったそうですね。
ともあれ、ひとつのコンテンツを何度も何度も洗い直すというところまで、エヴァデビルマンにそっくりです。
というか、同じ道筋を行くのだだなあ、とおもって見ています。
原作となるマンガ「デビルマン」は、もうかなり古い作品となってしまいました。
絵柄も今風ではありません。
ただ、その骨太なテーマにゆるぎはなく、これからもたくさんのクリエーターによる「種」の開花を期待させてくれるものです。
ご存じのとおり、エヴァンゲリヲン庵野さん自身の手によってリメイクが進行中で、その2作目「破」に至ってたいへんな展開となっている最中です。
これからの物語がどうなって行くことやら。
楽しみですね。