ジージャー・ヤーニン応援ブログ

いいえ、女優ジージャー・ヤーニンを応援するブログですとも。

光とともに

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戸部けいこさんがお亡くなりになられたのが、今年の1月のことでした。
死因などは公表されていませんが、闘病の果てとのことと伝えられています。ご冥福を祈らずにいられません。
戸部さんの代表作「光とともに」は、テレビドラマにもなった名作ですが、療育という観点に基づいて自閉症のドラマが描かれ始めるのは、ちょうどこの作品の原作、マンガ版の「光とともに」が始まって後のことでした。
この作品の前後には、自閉症という特殊な障害の話題性を前面に持ってきた作品群、たとえば「天使が消えた街」や「君が教えてくれたこと」などがあります。
個人的には、「君が教えてくれたこと」などは傑作だと思っています。
ともさかりえさんの演技はすばらしい。
それぞれが描こうとしていることに「おもしろさ」があり、ドラマとして個性を持っていることに変わりはありませんね。
ただ、これらの作品に対して残念に感じるのは、それら主人公たちが、ハナから自閉症者として存在し、周囲の理解や誤解はともあれ、療育の過程が描かれないで済まされてしまっているという点です。
自閉症者は、その程度やあり方にもよりますが、まずは前提として、普通の生活をおくること自体が不可能です。
そんな極端な、と思われるかもしれませんね。
ここでは、敢えてこれらのことは掘り下げませんが、物語りとしての「光とともに」は、まさにこの「療育」の過程をしっかりと描いた大作でした。
みなさん、ぜひ、「光とともに」を読んでみてください。
そしてぜひ、ご自身のこととして、女性も男性も、このような子を持つ自分の生活というものを想像してみてください。
そして肝心なのは、その人生を放棄したり途中下車したり出来ないという点です。
いまの世の中は、若い人も社会人も、みんな、いろんなことをカンタンに投げ出してしまったりします。
そして生きて行くことに対しても意欲が希薄だったり。
とても残念におもっています。
或いは逆に、宗教や自己啓発に踊らされて、執着からその逆のことに傾注したりするヒトたちもおおいです。
どちらもおかしい。
ただ、障害者を抱える生活というものには、どちらの罠も、それぞれに色濃く張りめぐらされているものです。
猫太郎が2歳半検診で重度の自閉症だと名付けられたそののち、真っ先にわたしのウチのドアのチャイムを鳴らしたのは、嫁さんのおかあさんでもなければ、役所から依頼を受けたメンタルケアのカウンセラーでもありません、だってまだ、誰にも猫太郎の自閉症のこと自体を伝えていませんでしたし。
来たのは、見も知らない二人組の宗教関係のおくさんたちでした。
不思議でなりません。
御本尊様を拝むと子供の障害はよくなるとのこと。
ちょっとまってね、どうしてウチの子が障害者だと知っているのでしょう(笑)、笑えて来るのです。
世の中は、こんなものです。
でも、それでも世の中は世の中。
別にその宗教のことをどうとも思いません。
みな、こんな感じですし。
たいへんだねえ、と心から心配してくれるヒトたちの多くも、結局は干渉を続けるそのうちに、改善しない現実に飽きて癇癪を起こして去っていくばかりでした。
挙げ句、迷惑がられる(笑)。
ヒトというものを、現代の正さに照らし合わせれば、これらはすべて正解なのだからしょうがないのです。
だって、どうしようもないのですから。
わたしは思います。
誰も悪くはないんだ、と。
薄汚い世の中の言い分にハラを立ててヒトとぶつかってしまったり、込み上げる憤りにカラダの調子をおかしくしてしまったり、まあ、未熟なのでいろいろあります。
そして「療育」という行為は、こんな未熟で情けないわたしたちの手による、お粗末で泥まみれの、泣きじゃくりながらの行為です。
そんなことが省かれて、成果をただ評するような世の中を嫌っても、わたしたちにはどこにも逃げ場もありません。
そういう、障害者の世界をとても丹念に描いたひとつの作品が、戸部さんの「光とともに」なのです。
主人公の光くんは、猫太郎と同じタイプの自閉症ですが、猫太郎のほうが残念ですが重症です。
光くんも猫太郎も、コトバが通じません。
あなたなら、どうしますか。
障害者と向き合い、慈しみのこころを、コトバを連ねるのではなく、行為として慈しみを実践して行き、生活をともにしていくこと。
たいへんなことです。
ただ、彼らの闇を思うとき、わたしは心の底から彼らを慈しまずにはいられなくなるのです。
仏さまじゃないんだから、慈しむとか、おこがましくはあるのですが(笑)。
ジンがゼンに向ける慈しむキモチは、とてもあたたかなものですね。
それは不幸を嘆くことから生まれるカタチではないでしょ。
それは、こころの底からの感情のカタチだし。
ああ、これは大切なこと。
なぜなら、そのキモチとそのキモチのカタチこそ、自分がこの世に生まれて来て、そしてそこにいるということの意義を教えることだからです。
苦しみは、ひとそれぞれに違うもの。
でも、カンタンに死にたいとかいうヒト、許せませんね(笑)。
それでもなお、苦しいヒト。
大丈夫です、なんか困ったらわたしのトコに言いに来ればいいよ。
なんにも出来ないけど、泣いたり悩んだり、いっしょに痛がったりするよ、たぶん(笑)。
そのときは横に猫太郎もいるけどね(笑)。
さて、本題。
戸部さんの「光とともに」は、彼女の病気療養とともに連載が中断されたままでしたが、ようやく今日(もう昨日だけど)、完結版の15巻が発売になりました。
わたしはみなさんにもぜひ、積極的に自ら機会を得て、このマンガを読んでほしいとおもうのです。
自閉症という障害は、別にその障害の問題だけにとどまる問題提起ではないとおもうのです。
ヒトは、どうやって生きていったら幸せになれるのだろうか。
その問いへのはじまりが、この障害を考えることの先にあるように思えます。
こころの痛み。
そういうことを模索する糧として、生きながらこんな恐ろしい闇に見舞われ続けている子どもたちがいるんだという現実の痛みが、あなたにもっともっと強く深く、生きていくということを問うことでしょう。
物語りではないので、幕はありません。
さあ、明日は猫太郎の運動会だ。
応援しなきゃ(笑)。