ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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スペース1999

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アメリカのローカル局で人気の出始めた「謎の円盤UFO」は、続編を模索しはじめます。
結論から言えば、それは大失敗に終わります。
成功のためのアメリカの方を向いたマーケティングを意識した物語制作には、ほとんど何の熱も宿らないまま終わってしまったと言えるでしょう。
アメリカでウケるため、大物俳優起用を決定したものの、夫婦主演の申し出を断れなかったため、まったく見栄えのしない中年のおばさんをヒロインとしなければならなくなり、この時点でもう「謎の円盤UFO」のファンは引いてしまっています。
そしてそこに更なるダメの拍車をかけたのが、物語りを彩る諸般の演出のセンスのヒドさでした。
いえ、厳密に言えば、それほどひどかったわけではなくて、前作となる「謎の円盤UFO」のセンスが秀逸に過ぎたということなのでしょう。
このギャップの原因は明白です。
スタッフから、シルビア・アンダーソンが抜けたためです(ジェリーとの離婚です)。
メカもキビシイ。
前作に見られたようなSFドラマとしての考証も甘くなり、ある大物SF小説家(大物というより頂点と言うべきヒトです)から名指しで非難されたりしていました。
後半のシーズンからは市場調査からのテコ入れが試みられ、スポックの人気にあやかろうと、なんにでも変身できちゃう宇宙人がメインに参加。
続々とゲテモノ型宇宙人が襲来。
当初の月と地球の関係や、シャドーの後継機関のはずだったムーンベースアルファの意義なんて、もう完全にどっかへ吹っ飛んでしまっていました。
ジェリー・アンダーソン作品には、それぞれにどこかしら見出すべきものがあったりするのですが、もちろんこの「スペース1999」にも、それなりに長所はあるのですが、それでもなお、私的には、好きになるには難のある作品になってしまいました。
熱がないのですね。
痛みも、感動も、高揚も、理想もなにも感じられない。
この作品はただもう、こうすれば視聴率あがりそう、そういう実験の賜物を披瀝するだけの、こころの足りない粘土をこねただけのオブジェになってしまっていたのです。
たとえば幼少期、なんらかの自分のこころの隙間を、その前後の様々な事情で、この作品に埋めてもらったというヒトも多く存在していることと察します。
アニメとかもそうなんですが、タイムリーに展開され、それ故に大事な「自分の記号のひとつ」になっていくというのも、よくあることですね。
そういうヒトたちや、真剣だった制作スタッフのキモチは大事に考えたいです。
特にこの作品に関して言えば、後半の俳優さんたちはほんとうに熱心に、この作品を盛り上げようと頑張ってはいたのです。
それだけに、とても残念なものを感じます。
ロバ売りの親子のように、定石的な企画マーケティングで作品つくっても、そこにはなかなか魂は宿らないものなのではないかと思います。
まあ、やり方としては常套手段には違いありません。
それでも、なんでも宇宙人やらコスプレ怪人やら、ザ・シンプソンズでバートあたりにからかわれそうな恥ずかしい内容には、辟易としてしまうのも事実です。
はい、もう一回やり直しね。
つきあうので、あきらめないでがんばれ!ヤレば出来るんだからさ。