ジージャー・ヤーニン応援ブログ

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私の中のあなた

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映画「私の中のあなた」は、白血病の少女の物語ではなく、その少女の家族の物語と言えるのではないでしょうか。
いろいろと考えさせられるお話でした。
私の子供は自閉症という障害を持っています。
生涯、治ることはありません。
残念ながらたいへんな重症で、会話も出来ません。
この子が自閉症だと宣言されたとき、その意味も姿も想像できなくて、ずいぶんいろんな本を読み調べたものです。
そんな中、ある障害児の育児の本に、「とりあえず、死なない障害なのだから」と書かれているのにあきれたのを覚えています。
書き手にしてみれば、気をしっかり持って、もっとたいへんな人はいっぱいいるのですよ、というニュアンスで綴ったのだろうなあ、とは察するのです。
でも、こんな言い方ってあるでしょうか。
その言葉にあきれて、でももしかしたら、ずうっと何年もたったら、ああ、どうしてあのとき、あんなに焦って悲観したのだろう、バカだったなあ、死ぬわけでもないのに、とおもう日でもくるのかと、ちょっと期待しないでもありませんでした。
どんな障害があろうと、そんなこととは関係なく、わたしがこの子を愛おしく感じていることは変わらず、成長するにつれ、生まれてきてくれたことへの感謝はつのります。
そしてそのうえでなお、おもうのです。
とりあえず死なない、は、やっぱり救いのない、こころのない、自分勝手な言葉だったなあ、と。
障害者を持つ家族の現実に、とりあえずは通用しません。
どんなにご立派なその筋の先生であろうとも、ほんとうの意味でのこころの痛みへの「理解」を及ぼすことは不可能だとおもいます。
映画「私の中のあなた」の白血病の少女ケイトは、頑なに張りつめる母親を傷つけたくない気配りから、妹のアナにその母を訴えてくれと願います。
11歳のアナは姉の指示にしたがいながらも、ほんとうのことが言えない苦しさに耐えて裁判に挑むのです。
その裁判を請け負う弁護士も、判事も、痛みにあふれたひとたちです。
自分が死にゆく身であるケイトは、誰よりも母を慈しみ、家族のことを愛しているのです。
死んだことではなく、そこに存在したということに意味がある、と、物語りは括ります。
胸を打つ物語りでした。
エンディングが流れる中、私の頭の中ではやっぱり一青窈さんの「うんと幸せ」が聞こえて来てしまうのです。
あのうたの歌詞は、ほんとうにこの物語りのテーマに重なっていますね。
ぜひ、ご覧になってみてください。